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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

日本のビールの歴史年表

江戸時代後期〜幕末(〜1868)

解説
  • 1613(慶長18)年
  • イギリス船・クローブ号が平戸に入港、積荷の中にビール。日本にビールが入ってきた最古の記録か。[6月]
  • 1724(享保9)年
  • 阿蘭陀(おらんだ)通詞・今村市兵衛と名村五兵衛が編集した『和蘭問答』に「麦酒給見申候処、殊の外悪敷物にて何のあぢはひも無御座候」の記述あり。日本人が書いたビールの味に関する最初の記録。
  • 1788(天明8)年
  • 蘭学者・大槻玄沢『蘭説弁惑』に「『びいる』とて麦にて造りたる酒あり。食後に用るものにて飲食の消化をたすくるものといふ」と紹介。
  • 1814年(文化11年)
  • オランダ通詞は英語の「BEER」を「ベール」と読んだ(『諳厄利亜語林大成』)。
  • 1836年(天保7年)
  • 蘭学者の高野長英が、『救荒二物考』で翻訳書以外で初めてビールの醸造法を記す。
  • 1854年(安政元年)
  • ペリー、日米和親条約の締結を祝って船上パーティーを開催、日本側官吏を招待しアルコールを提供。幕府に献上された酒の中には「土色をしておびただしく泡立つ酒」と、ビールと思われる酒も含まれていた。[3月27日]
  • 1857年(安政4年)
  • 長崎の日本料理店が西洋料理店を兼業。
  • 1858年(安政5年)
  • 日米修好通商条約調印。翌年横浜港開港。[6月19日]
  • 1861年(文久元年)
  • 横浜の週刊英字新聞『ザ・ジャパン・ヘラルド』に舶来ビールの広告が出る。[11月23日]
  • 1862年(文久2年)
  • 西周、オランダ留学の途次、バタヴィア(現・ジャカルタ)でビールに氷を入れて飲む。[10月]
  • 遣欧使節のひとり野沢郁太はロンドンでもサンクトペテルブルグでも昼食・夕食に「ビイル酒」を飲む(『遣欧使節航海日録』)。
  • 横浜に牛鍋屋「伊勢熊」が開業
  • 1863年(文久3年)
  • 長崎に西洋料理店「良林亭」(後の自由亭)が開業。
  • 横浜で広告専門の日刊英字新聞『ザ・デイリー・ジャパン・ヘラルド』発刊、連日輸入酒の広告が載る。
  • 1865年(慶応元年)
  • 特命で渡仏した柴田剛中は、スエズ港からアレキサンドリアへ向かう汽車に乗る際、のどの渇きに備えてビール3本を買う(『仏英行』)。[6月]
  • 横浜に「ビア・アンド・コンサート・ホール」(居留地の山手99番)が開業。[5月1日]
  • 長崎の藤瀬半兵衛、イギリス人からラムネの製法を学び売り出す。栓を抜く音から、当時は「ポン水」とも呼ばれていた。
  • イギリス人クラークが横浜山手に「横浜ベーカリー」を開店。のちの「ウチキパン」。明治時代にはコープランドからホップを譲り受け、酵母の培養を行った。
  • 1866年(慶応2年)
  • この頃、横浜の英学修業の青年の間でビールが流行
  • 薩摩藩主島津忠義はイギリス公使パークスを鹿児島に招待して大饗宴を催し、40種の料理とビールをはじめ内外の酒を提供した。
  • 1867年(慶応3年)
  • 15代将軍徳川慶喜、朝廷に政権を返上(大政奉還)。[10月14日]
  • 横浜元町の中川屋嘉兵衛が『万国新聞』にパン、ビスケット、ボットル(バター)の広告を出す。[6月]
  • 東京に西洋料理店「三河屋」が開店。引札(ちらし)に書かれたメニューの中に「ビヤ酒」が登場。
  • 舶来ビールを酌み交わす小花和重太郎、立石斧次郎(トミー)兄弟の写真(ちょんまげを結った武士がビールを飲んでいる、現存する唯一の写真)が撮影される。
  • 薩摩藩の小松帯刀が、イギリス公使通訳アーネスト・サトーの昼食会でビールを飲む。
  • 長州藩の軍艦艦長はオランダのビールが大好きで横浜のヘフト商会で船具を注文しながら一日中飲んでいた。
  • 1868年(慶応4年)
  • 東京・浅草の鳥屋新右衛門が西洋舶来酒、菓子類、医薬品、化学薬品の店を開く。

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