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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

コラム

1798年

「ビール」という表記の初見

「ビール」という表記が日本で初めてみられたのは、1798(寛政10)年に著された和蘭辞典『蛮語箋(ばんごせん)』においてであった。『蛮語箋』は、2,000語ほどの日本語にオランダ語を片仮名で記した単語集で、ヨーロッパの言語と日本語を対訳した日本で最初の小辞典である。「ビール」の語は『蛮語箋』の飲食の部で、「麦酒 ビール」と紹介されている。

著者の森島中良は、1774(安永3)年に完成した『解体新書』の翻訳作業に加わった桂川甫周の弟で、医師・蘭学者・狂歌師・戯作者と多方面にわたって活躍しており、いわば当時の文化人といえる。『解体新書』により一挙に蘭学が勃興する中、『蛮語箋』は著されたのである。当時の日本においてビールは、オランダ人と触れる機会があった人など、一部の人々の間でのみ知られる存在であった。

その後、1848(嘉永元)年に蘭学者の箕作阮甫(みつくり げんぽ)が『改正増補 蛮語箋』を刊行した。この増補版では、「ビール」という発音とあわせて、オランダ語の会話文「geef mij bier」とその対訳「ワレニ麦酒ヲ与ヘヨ」という文が追加されている。しかし、当時は外国船が日本近海に出没して鎖国体制を揺るがしていたため、『改正増補 蛮語箋』は国防上危険と判断されて幕府より発売を禁止された。各国と和親条約を締結した3年後の1857(安政4)年、『改正増補 蛮語箋』は再刊され、飛ぶように売れたといわれる。

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