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歴史人物伝 歴史人物伝

ビールを愛した近代日本の人々

飢饉対策としてビール醸造法を記した反幕府の天才蘭学者・高野長英
(たかの ちょうえい)1804-1850/岩手県〈仙台藩領水沢〉出身

はじめてビールのレシピを書いた日本人

高野長英

高野長英(椿椿山 画/重要文化財/奥州市立高野長英記念館 蔵)


江戸時代を代表する蘭学者である高野長英。彼の著書『救荒二物考(きゅうこうにぶつこう)』に、ビールの醸造法が記されている。

其法、蕎麦売(カラ)を去る者を取り、蒸して熟するに至り、取り出し器に納れ(中略)沸醸(ワキタタ)せしめ酒成るに至り。上清(ウワミヅ)を汲み取り用ゆ。
※カッコ内カタカナは原文に付けられたルビ。旧仮名遣いなどに適宜手を入れた。 (「救荒二物考」/『高野長英全集』所収)

おそらくこの記述は、翻訳書以外ではじめて日本語により記されたビール醸造法であろう。長英がその生涯においてビールを口にしていたかどうか定かではないが、高い語学力を誇った長英のこと、オランダ語の書物などからビールの知識を得ていたと思われる。

『救荒二物考』が執筆されたのは、1836(天保7)年。たび重なる天災により深刻な食糧難に見舞われていた当時、人々が寒さや飢えに苦しむ状況を憂慮した長英は同書で、備荒作物となるバレイショ(じゃがいも)と早蕎麦(早生のソバ)の栽培法や調理法を詳しく説いた。ビールの醸造法は、早蕎麦の調理例として紹介されている。

シーボルト門下きっての俊才

仙台藩医であり、『解体新書』の訳者として知られる杉田玄白の門弟でもあった高野玄斎を父に持つ長英は、若い頃から江戸に出て、蘭学者に師事していた。

人生の大きな転機となったのは、長崎に赴きシーボルトの鳴滝塾に入ったことだ。シーボルト門下の中でも長英は屈指の俊才とうたわれ、特に語学については並ぶ者がなかった。シーボルトの門弟たちがオランダ語で記した論文集『シーボルト門人蘭語論文目録』には42編の論文が掲載されているが、そのうち長英のものが12編と最も多い。入塾の翌年には、シーボルトから「ドクトル(先生)」の称号を授けられている。

ビールの醸造法についても、この長崎時代に知ったと考えられる。もしかしたら、ドイツ人だったシーボルトと、出島にだけ輸入されていたビールを酌み交わしているかもしれない。

その後、27歳で江戸に戻った彼は、渡辺崋山らと洋学研究結社である「尚歯会」を結成し、洋学の普及活動に努めることになる。海外をめぐる時勢が大きく転回しつつあったこの頃、当代随一の蘭学者であった長英は、西洋の進んだ学問・思想を世に伝えることを自らの責務と考えていたのだ。彼のそうした思いが、ビール醸造をはじめとした国内最先端の知的情報を満載した『救荒二物考』の執筆に結実した。
『救荒二物考』写本

『救荒二物考』写本。挿絵は渡辺崋山による(奥州市立高野長英記念館 蔵)

使命のために脱獄した意志の人

ペリー来航直前の日本にあって、医学・洋学の第一人者として順風満帆かと思われた長英の人生だが、次第にそれは波瀾に富んだものへと変わっていった。

1839(天保10)年、36歳の長英は投獄の憂き目に遭う。幕府の異国船打ち払い方針の危険性を警告した『戊戌夢物語』が、幕府批判にあたるという理由からだった。

長英の刑は「永牢」、つまり無期禁固刑である。しかし、洋学の普及を自らに課している彼は、次第に獄内の生活に耐えられなくなった。「いつまでもこんなところに囚われているわけにはいかない……」。彼はやがて、脱獄を決意する。

決行は1844(天保15)年の3月。長英は牢番の雑役夫を買収し、江戸小伝馬町の牢屋敷に放火させ、見事脱獄に成功する。

その後、各地の支持者を頼りながら日本中を転々とする中で、翻訳書や兵書を数多く書き上げていった。そして、逃亡生活の6年目、47歳になった長英は、火薬で顔を焼き人相を変えて、江戸での潜伏生活を始めた──。

しかし、長英の翻訳書への高い評判を、幕府が見過ごしているはずがない。彼の所在は、幕府奉行所から追及されるところとなった。

遠山金四郎が率いる南町奉行所によって長英の居宅が包囲されたのは、1850(嘉永3)年10月のこと。ものものしい装備の捕手たちに踏み込まれた長英は、自殺したとも十手で殴られ殺されたともいわれている。

救荒二物考

醸酒(サケニツクリカタ)
蘭人(ヲランダジン)此ヲ以テビイル──酒名ナリ少シク苦味アル者ナリ──ヲ製ス。然レドモ單味(マジエモノナシ)之ヲ以テ製スルワ稀ナリ。常ニ他(ホカ)ノ麹(コウジ)ヲ加ウ。其法蕎麦売(カラ)ヲ去ル者ヲ取リ蒸シテ熟スルニ至リ取リ出シ器ニ納レ熱湯(ニエユ)を注(イレ)ギ麦麹(ムギコウジ)及ビ原醅(サケノモト)ヲ加エテ攪動(カキマハシ)密封(クチヲトシ)メ温處(アタタカキトコロ)ニ安シ沸醸(ワキタタ)セシメ酒成ルニ至リ。上清(ウワミヅ)ヲ汲ミ取リ用ユ。
※カッコ内カタカナは原文に付けられたルビ。 (「救荒二物考」/『高野長英全集』所収)

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