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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

コラム

ヘンドリック・ドゥーフ(Hendrik Doeff)1777-1835/オランダ出身

母国との連絡が途絶え、出島でビールづくりに挑戦

ヘンドリック・ドゥーフ

ヘンドリック・ドゥーフ(ドゥーフ像(部分)川原慶賀作 神戸市立博物館蔵 Photo : Kobe City Museum / DNPartcom)

長崎の出島でビール醸造を試みたオランダ人ヘンドリック・ドゥーフは、オランダ商館の筆者頭として1799(寛政11)年に初来日した。1803(享和3)年には27歳でオランダ商館長の任に就き、以後1817(文化14)年までの長期にわたりオランダ商館長を務めた。 ドゥーフの在任中、祖国オランダは苦難の時期を迎えていた。オランダはナポレオン戦争の影響で1795(寛政7)年からフランスに占領されていた(1810年にフランスに併合される)。フランスがイギリスと戦争状態となっていたため、本国から派遣された船がイギリスに拿捕される事件が起きたりした。1808(文化5)年には英国艦船フェートン号が、オランダ国旗を偽って掲げ長崎港に侵入するという事件も起きた。そして1809(文化6)年の来航を最後に、通常毎年のようにあったオランダ本国からの長崎への貿易品や生活必需品を載せた船の来航は1814(文化11)年まで途絶えてしまう。出島のオランダ商館は孤立し、商館員たちの生活必需品も底をついてしまった。 ドゥーフは日本人が食料品や必需品を「できる限り無償で補給してくれ」たり、「何か不足するものはないか」などと聞いてくれたりして、「我々の陰鬱な環境を快適にするため、できるだけのことをした」と回想し、感謝の意を表している。

生活必需品のうちにはビールも含まれていた。ドゥーフは、ショメール編の『家政百科』を参考にしながらビール醸造を試みた。彼がオランダ帰国後に記した『日本回想録』には「私は白っぽいハールレムの白ビール、モルの味のする液体を得るところまで行ったが、これを十分発酵させることはできなかったので、三、四日しか保たなかった。私は又、苦みを加えるホップを持たなかったので、これをこれ以上長く保存できなかった」(永積洋子訳『ドゥーフ 日本回想録』雄松堂 2003年刊より)とある。ビールはどうにかできたものの、満足できるものではなかったようだ。

1817(文化14)年に日本を去ったドゥーフは、1819(文政2)年ようやくバタヴィア(現・ジャカルタ)から祖国オランダへと向かった。しかしその航海中に遭難し、夫人を亡くし、長年にわたって収集した品々も失った。その後1835(天保6)年にアムステルダムで亡くなるが、オランダがフランスの占領下にあった時、世界中で出島のオランダ商館だけがオランダ国旗を掲げ、出島の独立を維持したという功績が認められ、オランダ国王から勲章が与えられたという。

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