
カリフォルニアワインの父と呼ばれる、ロバート・モンダヴィ。
世界中の偉大なワインと肩を並べるワインをカリフォルニアで造るという彼のヴィジョンは、その革命的精神と伝統を尊ぶ精神により見事に結実し、数々のプレミアムワインを世界中の食卓に届けています。
ROBERT MONDAVI
両親から受け継いだスタイル
ロバート・モンダヴィは1913年6月18日、ミネソタ州ヴァージニアでイタリアのマルケ州から移民してきた両親チェーザレとローザの長男として生まれました。父チェーザレは、ワイン用のぶどうを運ぶ仕事でカリフォルニアへ通いつめるうちに、その地に魅せられ、1923年カリフォルニア州ローダイに移住、そこで農園を開きます。ロバート・モンダヴィは若き日々をローダイで、家族用のワインを造る父の手伝いをしながら過ごします。「ワインをアメリカ文化の中に浸透させようという私の情熱は、私の両親が中央イタリアから持ち込んだ価値観、伝統、そして日常の楽しみを、この若い国アメリカの地に深く根付かせたいという強い思いによるものである──そしてそれは、おいしい食事とおいしいワイン、加えて家族の愛なのだ」とロバート・モンダヴィは語っています。1936年、ロバート・モンダヴィはスタンフォード大学を卒業。大学では経済・経営を専攻しましたが、ワイン産業で成功するにはワイン造りの専門知識と同じくらいマーケティングが重要だということを知り、その考えは以降の彼のワイン造りの根幹に大きく関わっていきます。
ROBERT MONDAVI
カリフォルニアの地で最高のワインを

大学卒業後、ロバート・モンダヴィは当時、父チェーザレが共同経営者となっていたセント・ヘレナのサニーヒル・ワイナリーで働き始めます。モンダヴィ家はその後、ナパへ移り、当時ナパに6つあったワイナリーのうちの1つ、チャールズ・クルーグ・ワイナリーを手に入れます。これはロバートの進言によるもので、彼はこのワイナリーの設備が彼の野心的な計画を実現するのに絶好だと判断したのです。ワイナリーには100エーカー(40ヘクタール)のぶどう畑がありましたが、ロバートはただちにこれを高貴品種に植え替えました。「ここですごいワインが造れることはわかっていた。しかし、同時に私たち自身の能力を高め、技術を磨かなければならないこともわかっていたんだ」とロバートは述懐しています。
1959年にチェーザレが他界した後、ロバート・モンダヴィは、母ローザ、弟ピーターとともにクルーグ・ワイナリーの経営を引き継ぐことになります。当時のカリフォルニアではジャグワインと呼ばれる低品質のワインしか存在しない中、ロバート・モンダヴィはこの地で最高のワインを造りたいという情熱を持っていました。
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家族経営事業の近代化

チャールズ・クルーグ・ワイナリーでロバート・モンダヴィは、上級クラスのワインを少しずつ出荷し始めます。そして品質向上を図るため、この家族経営事業のテクノロジーの近代化を積極的に進めていきます。彼が行った新しい試みは枚挙にいとまがありませんが、初期の段階での一例を挙げると、ナパ・ヴァレーで低温発酵を大々的に試みた最初のワイン生産者となったことがあります。1962年に初めて現地調査のためヨーロッパに出かけた彼にとって最大の発見は、ヨーロッパの洗練されたワインはすべて、オークの小樽で熟成させているという事実でした。それまで巨大なアメリカ杉の樽でワインを熟成させていた彼は、異なるオーク材、異なる形で作られた樽を100個以上注文。このフランス産オークの小樽が最終的にワインに素晴らしい奥行きを与えることがわかり、1966年に創立したロバート・モンダヴィ・ワイナリーで、この小樽熟成を導入しました。
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ロバート・モンダヴィ・ワイナリーの発展

このようなロバートの情熱は理解されずに、結局母、弟とは別の道を進むことになりました。そして1966年、53歳の時に息子のマイケルと一緒に「ロバート・モンダヴィ・ワイナリー」をゼロからスタートさせたのです。彼が目指すゴールは、ヨーロッパの伝統と技術をアメリカの最新テクノロジー、経営・マーケティングの専門知識と組み合わせることでした。1960年代末、ロバート・モンダヴィ・ワイナリーでは低温発酵、ステンレスタンクやフランス産オーク小樽を試み、カリフォルニアに多くのワイン醸造技術を導入しました。またロバートの公私にわたるパートナーであるマーグリット・モンダヴィの発案で、ワイナリーでジャズやクラシック音楽のコンサートや美術品の展示会を開催したり、フランスの一流シェフを招いて料理教室を開くなど、さまざまな形で「ワインは食事と芸術を祝福し、ワインは素晴らしき人生の一部である」というモンダヴィ家の伝統を伝えていくのです。1978年にはローダイのウッドブリッジ・ワイナリーの運営を開始し、大規模なワイナリーながら伝統的な手法で高品質のワインを生み出すことに成功しました。さらに1979年には初のジョイントベンチャーとして、フランスのボルドーでシャトー・ムートン・ロートシルトを所有するバロン・フィリップ・ロートシルトと共同経営のワイナリーを創設し、「オーパス・ワン」をリリース。「文化や伝統の違いを取り入れ、ボルドーとカリフォルニアから最高の人材と技術を使って独自のスタイル、特色、格式を持つワインを造る」という構想を見事に結実させたのです。
ROBERT MONDAVI
世界のワイン業界のリーダーへ

「ワイン造りは芸術であり、文化である」と語るロバート・モンダヴィは、実にさまざまな形で、文化・芸術活動、医療活動への支援を続け、その功績とリーダーシップを讃えられてきました。1996年に初の「カリフォルニア州フェアライフタイム・アチーブメント賞」を受賞。つづいて、ワインスペクテイター誌のリーダーズ・チョイス賞で、アメリカでもっとも重要なワイナリーに選ばれ、ハーバード・ビジネス・スクールアソシエイションでは「ビジネス・リーダーオブ・ザイヤー」を受賞。1999年にはニューヨーク市のソングライターズ・ホール・オブ・フェームから芸術後援者賞を受賞しました。ロバート・モンダヴィ氏がナパ・ヴァレーとワインと文化・芸術の融合のために始めた活動である「サマー・フェスティバル」等の音楽祭は、今も毎年大変な盛況で、ナパ・ヴァレーの名物となっています。
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