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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

コラム

1899年

新橋駅・横浜駅の食堂で「キリンビール」の販売開始

1899(明治32)年、新橋と横浜の停車場に食堂が開設され、キリンの生ビール販売が開始された。駅に食堂を設けて生ビールを販売することを強く主張したのは、ジャパン・ブルワリー・カンパニーの重役でもあったトーマス・ブレーク・グラバーだった。グラバーは、駅の食堂で「キリンビール」を販売することは日本全土に広がる大広告であると主張した。多くの人々が行き来する駅こそ、ビールを普及させるのに最も適した場だと考えたのだろう。ちなみに、新橋駅では1日に40ガロン(約180L)のビールが売れたという。

また、この食堂開設に前後して、新橋・横浜の両駅にキリンビールの電飾看板が登場した。駅舎の脇に設置された大型の電飾看板は、看板のまわりを取り囲んだ豆電球が明滅する仕掛けで、それにより看板の文字が浮かび上がったり消えたりした。当時、イルミネーションによる宣伝手段は珍しかったが、1903(明治36)年の第5回内国勧業博覧会でイルミネーション塔がつくられて以降、イルミネーションによる広告が都市に広がっていった。駅に設置されたキリンビールの電飾看板は、大いに乗客や道行く人々の目を引いたであろう。

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