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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

コラム

1944年

ビール大びんの容量統一

1944(昭和19)年8月、ビール大びんの容量が統一され、現在と同じ1本約633mlとなった。明治初期、ビールびんはさまざまな国から輸入されていたため、容量もまちまちであった。スプリングバレー・ブルワリーの大びん(クォートびん)は約757mlと、現在より100ml以上も多かった。その後、日本に製びん会社ができた1880年代後半、ジャパン・ブルワリーの大びんは約689mlとなっていた。1888(明治21)年の「キリンビール」発売広告を見ると、びんの形は現在よりややずんぐりしたものになっている。1901(明治34)年の「麦酒税法」発布時に一時「3合6勺」(約649ml)と決められていたが、その後も各社それぞれのブランドでびんの容量は若干違っていた。 1944(昭和19)年に容量が統一されたのは、それまで製造量にかかっていた酒税が、庫出量にかかるようになり、出荷する容器の統一が必要になったためである。1本約633mlと中途半端な数字となったのは、一番少ない大びんの容量・3合5勺1才に合わせたためであった。この3合5勺1才をメートル法に換算にすると、約633mlとなるのである。ちなみに、容量が統一される前のビール各社および工場の大びん1本の容量は、次のようであった。

○大日本麦酒
  目黒・川口・吾妻橋・札幌・名古屋・半田工場:3.51合(約633ml)
  吹田・門司工場:3.57合(約644ml)
  西宮工場:3.55合(約640ml)
  博多工場:3.54合(約639ml)
○麒麟麦酒
  仙台・横浜・神崎(尼崎)・広島工場:3.56合(約642ml)

※1合=180.39mlとして計算し、小数点以下は四捨五入した。

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