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22歳のジュゼッペ・フランジアがイタリアのジェノヴァからニューヨークの港に到着しました。 その後、ジュゼッペは鉄道で西へ移動し、サンフランシスコ近郊に野菜畑を開きました。
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ジュゼッペと結婚するため、テレサ・カララがイタリアのジェノヴァからサンフランシスコ港に蒸気船にて、到着しました。 この出会いがフランジア・ブランドの礎となったことは言うまでもありません。 テレサは非常に小柄な女性でしたが、抱いている夢は大きく、仕事に対しても明確なヴィジョンを持っていました。
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フランジア家は、カリフォルニア州リポン近郊の10万坪の土地に、ワイナリーを開きました。ここに、フランジアワインの歴史が始まりました。
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商業用ワインの生産を開始。フランジアブランドが誕生。 この頃、フランジア家には5人の息子と3人の娘がおり、特に息子たちは"The Five Fearless Franzias(怖いもの知らずのフランジア5兄弟)"として知られ、フランジア事業発展の中心的な役割を果たしました。
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長い禁酒法時代(1920~1933)が終わると、テレサはすぐさま、イタリア銀行(現在のBank of America)から資金を借り、その多くを息子たちに与えました。その援助をもとに、フランジア・ブラザーズ・ワイナリー(Franzia Brothers Winery)を設立しました。
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フランジア家の3代目たちがビジネスを軌道に乗せました。彼らは、テレサが持っていたワイン造りへの情熱と誠実さ、そしてビジョンを受け継ぎ、ワイン市場への拡大に成功しました。
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紙製ボックスのワインタップ(フランジア バッグ・イン・ボックス)を発売。
店頭での売り上げが飛躍的に増加し、以後、良質なワインを手ごろな価格で提供するブランドとしての地位を確立しました。* 現在日本で発売されているものとは形状が異なります。
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2006年、2世紀目を迎えたフランジアワインは、いまもなお、最も人気のあるワインの1つとして世界中で愛飲されています。全世界での「フランジア」の年間販売数量(2005年)は約2410万ケースで、単一ブランドとしてワイン販売数量世界No.1を誇っています。5リットルのパッケージの縦の高さに、置き換えると、エベレストの1025倍の高さとなり、到達するのに137年かかる計算となります。また、5リットルパッケージの横の長さに置き換えると、アメリカ合衆国を東西に1往復する長さとなるそうです。
※単一ブランドでのワイン販売量世界No.1(IMPACT DATABANK 2024EDITION)