キリングループの歴史:食から医にわたる領域で価値を創造するキリングループの医薬事業のあゆみ
(公開日2025年5月30日)
キリングループは現在、「食から医にわたる領域で価値を創造し、世界のCSV先進企業となる」ことを目指しています。ビールを祖業とするキリンが、医薬事業やヘルスサイエンス事業の取り組みを強化していることについて、意外に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
そこで今回は、キリングループの事業の柱の一つである医薬事業を担う協和キリン株式会社にスポットを当てて、その成り立ちとあゆみをご紹介するとともに、祖業から培ってきたキリングループの強みが、現在の医薬品開発にも生かされていることをお話します。

1907年頃の麒麟麦酒山手工場
1907年に創立した麒麟麦酒(キリンビール)株式会社は、品質のよいビールをつくるため、昔から研究に投資を怠りませんでした。今から100年以上も前の1918年、工場の中に研究部を設置し、「ビールの原料や副産物の利用について」の研究を始めたのです。
第二次世界大戦下では研究の対象をビール以外にも広げ、戦後は余剰ビール酵母を原料とするビタミン剤や、ビールの仕込みかすを用いた醤油などをつくって販売した時期もありました。
1970年代に入り、キリンビールは経営の多角化を模索します。グループ会社の小岩井乳業株式会社や現在のキリンディスティラリー株式会社へとつながるウイスキー事業への参入は、この頃に始まりました。
さらなる多角化への検討を進める中で、医薬事業が新規進出事業の有力候補になりました。
医薬事業参入への直接的な契機となったのは、一人の社員が提出した報告書でした。ビール酵母をはじめとした微生物などをずっと研究してきたキリンビールには、「発酵」や「バイオテクノロジー」の技術に強みがありました。そこに目を付け、医薬事業参入を提言したその報告書は、キリンビールは「バイオテクノロジーを切り口に医薬事業へ参入することが有望」と結ばれていました。
この提言が引き金となり、1982年に研究開発部が新設。医薬事業進出が本格的に始動しました。
1990年、キリンビールの医薬品第一号が発売されます。当時、新薬の開発には10年から15年ほどかかると言われていましたが、キリンビールは研究開始から約8年という短期間で初めての医薬品を世に出すことに成功しました。これは提携を行ったアメリカのアムジェン株式会社の協力あってのことでしたが、長年研究開発に力を入れてきたキリンビールだからこその成果でもありました。
アムジェン株式会社の元CEOゴードン・バインダー氏は、のちに著書の中で当時を振り返り、次のように語っています。
「両者には共通点が多かった。キリンには優れた発酵技術があり、R&Dの重要性も理解していた。ほとんどのビールメーカーにとって醸造は芸術だが、キリンだけは科学を取り入れていた。」
ビールの品質を向上するために始まった研究は、やがてキリンの発酵やバイオテクノロジーの高い技術力につながり、現在の医薬事業の発展にも生かされています。
そして、協和キリンのもう一つのルーツである協和発酵工業株式会社もまた、会社の原点で培われた強みが医薬事業につながっています。
1945年、協和発酵工業を設立した加藤辨三郎のモットーは「発酵と合成の有機的結合によって、社会のために意味と価値のある製品を提供する」でした。

1945年 協和発酵工業設立
加藤は第二次世界大戦後の日本にあふれる社会課題を、自身の研究分野によって解決できないかと考えていました。協和発酵工業は、発酵の力によって社会課題の解決を目指すという志で設立された会社だったのです。
加藤がまず解決に取り組んだ社会課題は、蔓延する結核などの感染症でした。
結核は当時の日本人の死亡原因の第1位だった、深刻な社会問題でした。協和発酵工業も治療薬の研究に取り組んでいたものの、事業として成立するまでの大量生産は実現できていませんでした。そこで、米国メルク社(Merck & Co., Inc)から製造技術を導入する決断をしました。工場設備の導入には、当時の会社の資本金を越える膨大な費用がかかりましたが、加藤社長は「多くの結核患者をこのままに放置できないし、またメルク社との技術提携が物別れになれば、日本国の信用にもかかわる」として投資に踏み切りました。治療薬の製造を支えたのは、こうした志と、協和発酵工業の優れた発酵の技術でした。
1951年、協和発酵工業は結核の治療薬である「ストレプトマイシン」の量産に日本で初めて成功。結核の死亡者数の激減に大きく貢献しました。
協和発酵工業はこれを機に医薬品事業へ本格的に参入します。
また、栄養不足だった戦後の日本人の体格を改善するため、タンパク質の量産を目指し、世界で初めての発酵法によってグルタミン酸を量産するグルタミン酸発酵技術を発表しました。
これは、のちに協和発酵バイオ株式会社にも引き継がれ、現在のキリングループのヘルスサイエンス事業の基盤の一つになっています。
2008年、二つの会社をルーツに持つ協和発酵キリン株式会社(現・協和キリン株式会社)が誕生します。
当時のリリースでは、「両社の強みであるバイオテクノロジーを基盤とし、医薬を核にした日本発の世界トップクラスの研究開発型ライフサイエンス企業を目指します」と、提携のねらいが語られました。

設立時のロゴ
キリンビール、協和発酵工業それぞれの原点から引き継がれてきた、発酵・バイオテクノロジーの強みや、研究開発の重視、そして社会課題を解決しようという姿勢。それらの強みは、キリングループの医薬事業の中に今も息づいています。
会社の設立に先立ち、両社の社員と経営陣が議論して策定された「私たちの志」にも、重ねてきた歴史に裏打ちされた価値観が表現されています。
「世界一、いのちにやさしい会社になろう」と綴られたこのメッセージには、病気と闘うすべての人に笑顔を届けるために、いのちにまっすぐ真摯に向き合うこと、そして医療関係者とともに、いのちと歩み続けるという製薬会社で働く者としての思いが込められています。
私たちの志|会社情報|協和キリン (kyowakirin.co.jp)
協和キリンは、既存の治療薬が存在する疾患でも、治療の選択肢を提供し、患者さんの負担をより減らせるように開発を行ってきました。既存の治療薬よりも投与頻度を減少させた新たな治療薬などを世に出しました。
つくるものは、薬だけではない。私たちは、あらゆる人の笑顔をつくろう。
キリングループの医薬品開発の本質には、私たちの志に記された、こうした価値観が根付いています。
現在、協和キリンは「病気と向き合う人々に笑顔をもたらすLife-changingな価値の継続的な創出を実現します」としたビジョンのもとで、アンメット・メディカルニーズ(未だ満たされていない医療ニーズ)への取り組みや、患者さんへ新たな治療選択肢を提供すること、患者さんの負担を軽減して治療満足度を向上することなど、様々な価値を生み出しています。
こうした試みの根底には、社会的価値のある製品を提供してきた歴史や、私たちの志があります。
「世界一、いのちにやさしい会社になろう」と記した協和キリンは、患者さんを身近に感じ、患者さんの声を聴く、そのための努力を惜しまず医薬品開発を行ってきました。
つくるものは、薬だけではない。キリングループの医薬事業は、病気と向き合う人々の笑顔もまた、つくり出しています。