キリン初の清涼飲料 キリンレモンが守り続けた品質本位

(公開日2026年3月16日)

キリングループが経営の原点として大切にしている「品質本位」。お客様や社会の期待に応え、誠実に品質の良い商品を提供し続けるという姿勢は、創業以来、キリングループの各社で受け継がれてきた価値観です。

それを象徴するひとつが、1928年に誕生したキリンブランド初の清涼飲料「キリンレモン」です。売れ行きの伸び悩みや戦争の影響による物資不足など、数々の困難に直面しながらも、「品質本位」を守り続けてきた「キリンレモン」の歴史をご紹介します。

1928年 発売当初の「キリンレモン」

国民の健康を願った品質へのこだわり キリンレモンの誕生

現在はキリンビバレッジが製造する「キリンレモン」。1928年の誕生当時は、まだキリンビバレッジという会社はなく、キリンビールから発売されました。

1927年、キリンビールは清涼飲料事業への参入を決めます。当時、国内にはすでに多くの清涼飲料が出回っていましたが、キリンが目指したのは「健康を考えた、品質の高い清涼飲料」でした。

当時、日本で発売されていた清涼飲料は、人工着色料※であるタール色素で色をつけられた商品がほとんどでした。人工着色料は使用を禁止されてはいませんでしたが、健康に悪いことが知られていました。

「国民の健康を考え、人工色素は絶対に使用すべきではない」

技術者からの提言を受け、のちに社長となる磯野長蔵は、人工着色料を使わない、無色透明な清涼飲料の開発を決意しました。

  • 食品表示基準の改正により、2020年4月1日以降に製造される食品には「人工」及び「合成」の用語は使用禁止となっています。
  • 現在、食品添加物である着色料及び甘味料は、国が定める基準に基づき、安全性が評価・確認されたものが使用されています。

人工着色料不使用のこだわりの他にも、「キリンレモン」はたくさんの品質へのこだわりをもって開発されました。その一つが、レモンを表現するさわやかさへのこだわりです。

「キリンレモン」の開発を担ったのは、技術者の本城杢三(ほんじょうもくぞう)。横浜工場内に新たに建てられた清涼飲料工場の設計にも関わり、レシピの調合に没頭しました。

横浜工場の「工場巡り」パンフレット(一部)

本城はレモンの皮などから採った香料を厳選し、来る日も来る日も調合に明け暮れました。レシピが外部に漏れないよう鍵のかかった研究室で一人作業を続け、細部までこだわり抜く商品開発への姿勢は、社内外で語り継がれています。本城の徹底したこだわりは、「キリンレモン」の特長であるさわやかな香りを生みました。

また、砂糖は台湾産の白ザラメにこだわるなど、素材の品質にも並々ならぬ注意が払われました。

品質へのこだわりは、容器にも及びます。「キリンレモン」の透明さを際立たせるため、特別な砂を取り寄せて、当時はまだ技術的に難しかった透明のびんを作りました。品質保持のため、1本ずつ紙に巻いて出荷する手間も惜しみませんでした。

1928年3月16日、飲む人の健康を想い、品質を追求した「キリンレモン」が誕生します。

透明さが強調された発売当時のポスター

当時の清涼飲料は色のついた商品がほとんどだったため、人工着色料を使用しない無色透明の「キリンレモン」は、大きな注目を集めました。裏面には、「絶対ニ人工着色ヲ施サズ」と大きく印字されたラベルが、1枚ずつ手作業で貼られました。

困難を乗り越えて品質へのこだわりを貫いたキリンレモン

「キリンレモン」の高い品質は評価され、さまざまな賞を受賞します。しかし、当時の一般のお客様には色のついた清涼飲料が好まれていたこともあって、売れ行きは伸び悩みました。

社内では、「キリンレモンにも色をつけたらどうか」という意見が上がります。しかし、磯野社長は断固として反対しました。飲む人の健康を考えた「品質本位」の信念を守り、いつかは消費者に支持される日がくるはず、と人工着色料不使用の「キリンレモン」を貫きました。

人工着色料不使用だけでなく、人工甘味料不使用のこだわりにも、紆余曲折がありました。

第二次世界大戦がはじまると、清涼飲料は贅沢品とみなされ課税の対象となりました。燃料も統制され、キリンレモンはほとんど生産中止に追い込まれてしまいました。戦争が終わっても、統制経済のもとで清涼飲料に砂糖は割り当てられず、やむを得ず一部で人工甘味料を使用する状況が生じました。

その後、砂糖の自由販売が再開されると、1952年にキリンは業界に先駆けて人工甘味料不使用を復活。「純糖キリンレモン」として装いも新たに発売しました。

1952年に発売された「純糖キリンレモン」のラベル

困難な時期でも、「キリンレモン」は原点である「品質本位」を見失わず、その姿勢を受け継いできました。そして、転機となる出来事が起きます。

1960年代に入り、高度経済成長期を迎えた日本で、清涼飲料業界を揺るがす大事件が起こりました。それが、「チクロショック」と呼ばれる出来事です。

1969年にアメリカのFDA(食品医薬品局)が、「チクロという人工甘味料の入った清涼飲料を子どもに1日2本以上飲ませると危険」と警告を発し、アメリカ政府は発がん性があるとしてチクロの使用を禁止しました。アメリカ政府の発表を受け、日本でも即時使用の禁止が決まりました。

当時の日本では、このチクロは清涼飲料だけでなく、様々な食品や医薬品にも使われており、この事件は関係業界に大きな影響を与えました。世間の不安は瞬く間に高まり、「キリンレモンはチクロを使っているのか」といった問い合わせが相次ぎました。

「従来からチクロなど人工甘味料は一切使っていません」
「甘味料としては最高級の砂糖だけを使用して、ビール同様、品質本位の方針を貫いてきました」

キリンは広告などで積極的な情報発信を行い、お客様からの不安の声に向き合いました。

チクロ不使用をテレビで告知(1969年10月)

その結果、安全性と品質へのこだわりが広く伝わり、「キリンレモン」は工場が新しく必要になるほどの爆発的な売り上げアップを記録しました。発売から40年以上経ち、改めてその価値が認められるという、貫いてきた「品質本位」が実った出来事でした。

世代を超えて愛されてきたキリンレモンを支えたもの

「キリンレモン」は、誕生以来の「透明感」「さわやかなおいしさ」といった品質へのこだわりを、現在に至るまで大切にしています。国民の健康を願い、「絶対ニ人工着色ヲ施サズ」という信念のもと始まった「キリンレモンの品質本位」は、多くのお客様に支持され、世代を超えて愛される「キリンレモン」の原点となりました。

このページを共有する

  • Facebook シェア
  • X post
  • LINEで送る

お酒に関する情報の20歳未満の方への転送および共有はご遠慮ください。