キリングループの歴史:キリングループのDNAの源流 キリンビールを生み出した「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の外国人たちの挑戦

(公開日2025年7月18日)

明治時代に誕生し、大正、昭和、平成、そして令和と、時代を越えて愛されてきたキリンビール(現・キリンラガービール)。キリングループの源流の一つであるこの商品が、日本のビール産業が芽吹いた横浜の地で、在留外国人たちの手によって生まれたことをご存じでしょうか?

今回は、キリンビール株式会社の前身であるジャパン・ブルワリー・カンパニーの歴史を紐解き、今につながるキリングループのDNAの源流をご紹介します。

キリンビールの前身 ジャパン・ブルワリー・カンパニーの誕生

The tendency in Japan to a radical change in diet; to the consumption of animal food and bread; and to the almost certain large increase in the use of beer if it can be procured sound and even in quality at prices within the reach of the majority of probable consumers.
日本人は肉やパンなどを食べるようになったため、ビールの消費が急激に増加しつつある。適切な価格と品質のビールをつくれば、事業発展の機会がある。

1885年、横浜。外国人居留地の一室で、あるビール会社を設立するための会議が行われていました。集まったのは、いずれも横浜に住む在留外国人たち。明治維新に先立ち開港していた横浜では、食文化をはじめとした西洋文化が日本人たちの間にも根付きつつありました。

当時日本に流通していたビールは、ほとんどが輸入の海外ビール。価格は憧れの西洋料理だったビフテキ(ステーキ)よりも高く、誰もが気軽に楽しめるものではありませんでした。そんな中、日本人の食生活が変化しつつあることに目をつけた彼らは、日本産ビールブランドの誕生に将来性を感じていました。

日本に、本格的なビールを広めよう。

会議の中心となったのは、横浜の英字新聞『ジャパン・ガゼット』のオーナーであるウィリアム・ヘンリー・タルボットと、金融業などに携わっていたエドガー・アボット。その他、集ったメンバーはいずれもビールの醸造家ではありませんでしたが、彼らはそれぞれの得意分野を生かして、ビール会社設立のために力を合わせました

そして1885年7月21日、横浜・山手の外国人居留地に、新たなビール会社が誕生しました。会社の名前は、「ジャパン・ブルワリー・カンパニー(Japan Brewery Company)」。のちに「キリンビール」を生む、キリングループの源流の一つです。

1885年ごろのジャパン・ブルワリー・カンパニー 横浜山手工場

「日本人に愛されるビールをつくる」 ジャパン・ブルワリー・カンパニーの選択

ビール会社の設立のために集った外国人たちは、どのようなビールをつくるか議論を重ねました。1885年6月に作成された「仮設立趣意書(Preliminary Prospectus)」では、「イギリス、ドイツ、アメリカのいずれかの国から適切な醸造技師を招聘すること」と記されていました。

設立メンバーの大半は、イギリス人でした。しかし、ジャパン・ブルワリー・カンパニーが選んだのは、ドイツ風のラガータイプのビール。なぜ彼らは、自分たちが愛してやまないイギリス風のエールではなく、ドイツ風のラガーを選んだのでしょうか?

その手がかりは、会社設立に際して採択された「設立趣意書(Certain Prospectus)」にありました。

Believing the preference to be for beer of German brewing, the provisional committee have decided to obtain the services of a skilled German brewer of highest qualifications.
(日本人には)ドイツ製のビールが好まれると考え、委員会は最高の資格をもつドイツ人醸造家を招聘することを決定した。

その頃、日本に輸入されてくるビールは、すっきりした味わいのドイツ風ビールが多かったため、日本人の好みにはドイツ風が合うのだろうと彼らは予測したのです。

ジャパン・ブルワリー・カンパニーは外国人たちによって設立されましたが、彼らは多くの日本人にビールを売りたいと考えていました。そのため、イギリス人である自分たちが好むビールよりも、飲む人のことを考え、ドイツ風のラガータイプのビールをつくることを選びました。

発売後、『時事新報』1888年5月28日に掲載されたキリンビールの広告
“本家本元の製法に基き日本人の嗜好を察し・・"と読めます

「最高品質のビールを届けたい」 ジャパン・ブルワリー・カンパニーの徹底したこだわり

ドイツ風のラガータイプのビールをつくると決めた彼らは、ビールの品質にこだわります。その思いは、彼らの徹底した本物志向に表れました。

ビール造りに必要なものは全てドイツから輸入し、日本の地に最新のドイツ製醸造設備を整えました。ラガーには低温での熟成が必要なことから、氷を作ることのできるアンモニア冷凍機を業界で初めて導入したのもジャパン・ブルワリー・カンパニーだと言われています。この徹底ぶりは他のビール会社にも知られるほどで、「ホース1本までドイツ製」とからかわれるほどでした。

もちろん、ビールの原料にも徹底的にこだわります。ビールには欠かせない大麦やホップも、主にドイツから輸入しました。特にホップは、ドイツやチェコなどから大変品質の良いものを輸入していたようです。

一時期、ドイツよりも船便が多く輸入しやすかったサンフランシスコの麦芽を試したことがありましたが、その品質に満足できず、採用には至りませんでした。こうしたことからも、品質への高いこだわりがうかがえます。

もちろん、「設立趣意書」に記載されている通り、資格を持った優秀なドイツ人の醸造技師もドイツから呼び寄せられました。

3代目のドイツ人醸造技師 アイヘルベルク

キリンビールとともに生まれた「品質本位」「お客様本位」のルーツ

こうして、1888年5月、本格的なドイツ風ビールである「キリンビール」が発売されました。品質のいいビールは、外国人にも日本人にも評判となりました。

妥協しない彼らの品質へのこだわりは、会社設立から発売まで3年の歳月がかかったことや、追加投資もいとわずに本場ドイツ製の醸造設備を徹底したことからも伺えます。

(左)発売時のキリンビールのラベル (右)発売翌年に変更されたラベル

そしてこのはじまりの商品は、今もキリングループで大切にされている、「お客様本位」「品質本位」という経営の原点のはじまりでもあります。

現在、キリングループは、品質方針として以下を掲げています。

私たちは、キリングループの経営の原点である「お客様本位」「品質本位」に基づき、お客様の満足と安全・安心な商品・サービスの提供を何よりも優先します。

品質保証 | キリングループについて | KIRIN - キリンホールディングス株式会社新しいウインドウで開きます

故郷の定番ビールよりも、日本人に好みに合わせたドイツ風ビールを選択したジャパン・ブルワリー・カンパニーのイギリス人たち。原料や機械も徹底的にこだわり、莫大な投資と3年の歳月をかけて作り上げられたキリンビール。

キリンの原点である創業の歴史は、今もキリングループの中で方針として受け継がれています

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