キリングループ温故知新 2023年6月編

キリングループは100年を超える歴史の中で、さまざまな環境変化を乗り越え、成長してきました。「キリングループ温故知新」では、これまで発売した商品の誕生や、取り組みについてご紹介します。

昔から今につながるものづくりへの想いと共に、これまで培ってきた知見、研究、技術を活かし、「よろこびがつなぐ世界」の実現に向けて、新たな商品やサービスを提供していきます。

1958年6月1日 プリントびん入りの「キリンレモン」発売

1958年6月1日は、プリントびん入りの新しい「キリンレモン」が発売された日。そして「純糖品」のキリンレモンが完全復活した日。戦後の砂糖の統制を受け、一時期キリンレモンには人工甘味料と砂糖が併用されていましたが、この日より純糖品への全面切替えが達成されました。これを機に、キリンレモンの特色を生かす、新しい商標を焼き付けた無色透明のプリントびんが採用されました。

1950年6月19日 銘柄入り王冠栓の使用開始

1950年6月19日は、キリンビールの銘柄入り王冠栓の使用を開始した日。それまで、王冠栓には文字や絵柄は入っていませんでした。戦時下で「麦酒」に統一されていたビールのラベルに、商標「キリンビール」が復活した1949年の翌年でした。
画像は、「キリンラガービール」の王冠栓デザインの変遷になります。

1973年6月19日 キリンレモン・サービス相模工場(現・キリンビバレッジ湘南工場)びん詰開始

1973年6月19日は、キリンレモン・サービス相模工場(現・キリンビバレッジ湘南工場)でびん詰作業が開始された日。相模工場は、麒麟麦酒が建設した初めての清涼飲料の専門工場でした。
1969年のチクロショックを契機とし、「従来からチクロなど人工甘味料は一切使っていません」とアピールした「キリンレモン」や「キリンジュース」の需要は急増。それまで清涼飲料は、ビール工場の中の清涼飲料ラインで製造されていましたが、関東の工場に増設の余地がなかったこともあり、専用工場の建設が計画されました。
建設地として神奈川県高座郡寒川町が選ばれた理由は、①良質の水が得られること、②消費地に近いこと、③東名高速道路に近く、道路輸送の便がよいこと、とされています。1972年に着工し、1年をかけて1973年6月1日に完成。新工場の運営は、キリンレモン・サービス株式会社(現・キリンビバレッジ株式会社)が担いました。

写真:キリンレモン・サービス相模工場

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1988年6月 「キリンラガービール」に名称変更

キリンビール社の前身であるジャパン・ブルワリー・カンパニーが1888年に初めて製造したビールは「キリンビール」として発売を開始し、1907年の麒麟麦酒株式会社創立以降も、社名と同じ「キリンビール」の名で呼ばれてきました。創業以来の主力商品として圧倒的な地位を占め続けていた「キリンビール」が「キリンラガービール」へと名称を改めたのは1988年6月。

1980年代から急速に増加したビールのブランドの中で、お客様に「キリンラガー」の個性を明確に伝える目的でした。その後も変わらず愛され続け、130年を越えるロングセラーブランドとなりました。

写真:左)名称変更前1986年のラガー缶/右)変更後1989年のラガー缶

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