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歴史人物伝 歴史人物伝

ビールを愛した近代日本の人々

ビールを友に日本の将来像を思案した剛毅なる外交家・小村寿太郎
(こむら じゅたろう)1855-1911/宮崎県〈飫肥藩〉出身

日露戦争における小村寿太郎の活躍

外務大臣時代の小村寿太郎

外務大臣時代の小村寿太郎(国立国会図書館 蔵)


日本が大国ロシアを打ち破り、世界に衝撃を与えた日露戦争。その勝利に貢献した人物として、よく二人の名が挙げられる。当時無敵と呼ばれたバルチック艦隊を日本海において撃破した東郷平八郎と、甚大な被害に遭いながらも決死の突撃により旅順を攻略した乃木希典である。両名は英雄と呼ばれ、国中から喝采を浴びた。しかし、この戦争を勝利のまま終結させた陰の立役者として忘れてはならない人物がいる。時の外務大臣、小村寿太郎である。

日露戦争は、次第に清国への影響力を強めるロシアに対抗し、日本の防衛圏を確保するために始まった戦いであった。しかし、豊かな国力を背景に圧倒的な軍事力を誇るロシアと正面からぶつかるのは明らかに不利である。日本の首脳たちは、対露開戦へと世論が傾く中、いかにしてアジアからロシアの影響力を排除するかを徹底的に議論した。結果導き出した答えは、当時ロシアと敵対していたイギリスと同盟することである。その決め手となったのは、小村寿太郎の意見書だったという。1902(明治35)年、日英同盟は小村の交渉により無事締結されることとなった。

開戦後、日本は旅順攻略戦、日本海海戦において奇跡的な勝利を収め、戦闘を優位に進めたが、もはや人員も資金も底をついていた。政府内ではロシアとの早期講和を求める声が日増しに高まっていく。しかし、国内の実状を隠しながら交渉し、戦勝国として有利な講和条件を引き出すためには、高い外交手腕が必要だった。この難題に首脳たちの誰もが尻込みする中、小村寿太郎が再度立ち上がったのである。

全権委任を受けた小村は実に強気に振る舞った。講和の仲介を担当したアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の提言をはねのけ、「戦争継続もやむなし」とロシアに圧力をかけ続けた。しかしロシアも折れない。交渉は暗礁に乗り上げるかに見えたが、結局ルーズベルト大統領がロシアを説得する形で事態は収束した。小村の強硬な姿勢がルーズベルト大統領を動かし、日本を有利な条約の締結へと導いたのである。これにより、日本は欧米列強と肩を並べるだけの国際的権勢を得ることになった。

ビールを片手に思索にふける

日露戦争の講和会議で外交の才を発揮した小村寿太郎であったが、その前半生は決して順風満帆ではなかった。事業失敗による親の借金をそのまま引き継いだため、毎月の債務返済に追われ、昼食代にも事欠くありさまだったのである。しかしアルコールへの嗜好は非常に強く、ある時は無い金をしぼり出すようにして飲み、またある時は友人におごってもらうなどしていた。

外務省に入省してからも、生活水準はいっこうに上がらなかった。そのため小村は次第に社交の場から遠のき、ひたすら読書と思索にふける日々を重ねるようになっていった。夜は独り天井を眺めて、読んだ本の内容について黙想したという。外務大臣であった陸奥宗光に見いだされ、第二次伊藤内閣の外務次官に抜擢された後も、この習性は変わらなかった。

外国公使を歴任するようになると、小村はゆっくりとアルコールを嗜むだけの時間的・金銭的なゆとりを持つようになる。中でも、特に好んだのはビールであった。当時小村は夜の読書を日課としていたが、毎夜10時になるとビールとビスケットを用意させ、独りその味わいを楽しみ、思索にふけっていたという。小村の外交持論である「富国強兵による対外強硬策」は、こうした思索の日々の中で、徐々に形成されていったのかもしれない。

不平等条約の解消に尽力

日露戦争後、小村は最後の大仕事に取りかかる。幕末に締結された不平等条約の最後の一つ、関税自主権にまつわる諸条約の改正に挑んだのである。日露戦争を通して全世界に日本の国力を示したことで、改正のための土台はできていた。しかし、有色人種に平等待遇を許す初めてのケースだったため、欧米諸国は改正に難色を示す。小村は日露戦争の講和交渉と同じく強硬な姿勢を貫き通し、丸一年かけて着実に対話を進めた。そして1911(明治44)年、ついに日米新通商航海条約を調印。この条約によって日本は関税自主権を回復し、名実ともに列強の仲間入りを果たしたのである。また小村は、1907(明治40)年の日露協約、1910(明治43)年の韓国併合でも交渉の主導的役割を果たし、明治維新後の富国強兵政策の結実に尽力した。

小村は日米新通商航海条約の調印後、持病が悪化したため外務大臣を辞職すると、間もなく息を引き取る。享年57。一心に日本を思い、敢然とした行動によって壁を乗り越えてきた小村寿太郎。まさに明治時代の外交問題解決に殉じた、偉大な官吏だったといえるだろう。
日露戦争講和会議の日露全権団。 左から三番目が小村寿太郎

日露戦争講和会議の日露全権団。 左から三番目が小村寿太郎(外務省外交資料館 蔵)


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