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歴史人物伝 歴史人物伝

日本のビール醸造の開拓者たち

中川清兵衛

中川清兵衛

官営ビール誕生の陰に、醸造者あり
なかがわ せいべえ、1848ー1916/新潟県出身
(写真:サッポロビール株式会社 蔵)
1876(明治9)年、北海道の大地に、現在のサッポロビールの起源である開拓使麦酒醸造所が誕生した。主任醸造者を務めたのは中川清兵衛。日本人で初めて、本格的にドイツのビール醸造法を修めた人物である。

醸造者として歩み始めたきっかけは、ドイツでの青木周蔵(後の外務大臣)との出会いだった。国禁を犯してヨーロッパへと渡りドイツに入国していた中川は、日本にビール産業を根付かせたいという青木の勧めによって、醸造技術の習得を決意したのである。以後、青木は物心両面で中川をサポートする。

ベルリン最大のビール会社、ベルリンビール醸造会社で修業する中川は勤勉そのものだった。実地勉強に励むことわずか2年2か月で、醸造理論を習得するに至ったのである。醸造会社から送られた修業証書には次のように書かれている。

「(前略)旺盛な興味と熱心さをもって、ビール醸造および製麦の研究に精励し、よくその全部門にわたり優れた知識を習得し、ヨーロッパにまで来訪した目的を達成した。有能にして勤勉な他国の一青年を教育し得たことは、われわれの大きな喜びとするところである(後略)」(『サッポロビール120年史』)

1875(明治8)年8月に帰国し、その後青木が開拓長官の黒田清隆へと書簡を送ったことで、中川は国内初の官営ビール工場、開拓使麦酒醸造所の主任技師に抜擢され、念願のビール醸造を始める。数々の醸造実験を経て完成したビールは、冷製「札幌ビール」と名付けられ、ラベルには開拓使のシンボル・北極星が採用された。このビールの品質について、札幌農学校教師のペンハローは「苦みもよいが、なにより芳醇な香りが心地よい」と述べている。また、1881(明治14)年には、第2回内国勧業博覧会において有功賞を獲得した。
中川らの情熱こそが今も生き続ける北海道のビール産業を興したのである。
北海道開拓事業の一つとして始まった開拓使麦酒製造所

北海道開拓事業の一つとして始まった開拓使麦酒製造所(北海道大学附属図書館 蔵)


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