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紅茶の話

第5話 紅茶、新天地へ

1 サンプルだったティーバッグ
イギリスで花開いた紅茶文化は、独立して間もないアメリカへ渡って大きく進化します。1900年前後に誕生したティーバッグとアイスティーの存在が、茶の飲み方に対する概念を大きく変えました。そしてその後わずか100年のうちに、新しい紅茶の飲み方は、全世界の喫茶文化に大きな影響を与えることになります。

ロンドンで特許、喫茶文化には根付かず
茶は、茶葉を急須や茶瓶に入れて熱湯を注ぎ、蒸らしてから淹れるというのが、14世紀以降の伝統的な飲み方でした。もてなしのための茶は手間ひまにも深い意味が見いだされ、その過程はセレモニーにまで発展しました。しかし、アメリカで流行することになるティーバッグやアイスティーは、こうした考え方とは正反対の趣旨から生まれたものです。

ティーバッグについて最初の記録が現れるのは、1896(明治29)年、「スミス、ロンドンでティーバッグ(tea bag)の特許を取得」です。(『茶の世界史(松崎芳郎編著)』)スミスは、茶葉を計ることと茶殻の処理を簡単にするために一杯分の茶葉をガーゼに包んで糸でとじたものをサンプルとして作りましたが、伝統を重んじるイギリスの喫茶文化の中では、これは定着しませんでした。ティーバッグを最初に考案したのはイギリス人だったようですが、これを日常で飲むための飲み方として定着させたのは、効率と利便性を求めるアメリカ人でした。


商品見本として生まれた工夫が、ティーバッグ
アメリカで製造が始まったティーバッグ

アメリカで製造が始まったティーバッグ
アメリカで製造が始められた頃の工場の様子と、様々なタイプのティーバッグ。
<W.H.ユーカーズ著「All About Tea」より>
(資料提供:紅茶研究家・磯淵猛氏)

その頃、アメリカの茶の輸入業者は見本を錫の容器に入れて小売業者に送り、その茶を試してもらって注文を取っていました。ニューヨークで紅茶やコーヒーの商人をしていたトーマス・サリヴァンは、コストを抑えるために、茶を錫ではなく、絹の布に入れて小売店へ送りました。早速、入った注文は、茶そのものではなく袋への注文でした。絹の袋ごと湯に入れ茶を淹れれば、茶殻をポットから取り出す苦労もなく便利だ、と小売店側が一杯分の茶葉をその袋に入れて売ることを思いついたのです。以降、サリヴァンは絹袋入りの紅茶を本格的に生産するようになりました。 当時のアメリカは、異民族により構成されるグローバルな国家としての道を歩み始めていました。 効率と利便性が優先され、食品もシリアルやハンバーガーなどのファーストフードが相次いで開発されていた時期でもあります。ティーバッグに対する需要は急速に高まり、1920年代以降、一般家庭での普及はもちろん、レストランやホテルなどで「簡単、速い、常に同じに淹れられる」という三拍子そろったすぐれものとして定着していきました。


ワンポイント豆知識


初期のティーバッグは手作業で袋詰めされていましたが、1935年頃には、主な工場では機械化が進み、専用の袋詰め機も普及していました。袋の形状にもいろいろな種類があります。ティーボールと呼ばれる、ガーゼに茶葉を丸く包み、口を糸で締めたもの。ティーバッグと呼ばれるものは、ガーゼを二枚重ねて袋状に縫い合わせ、そこに茶を詰めて口を閉じたもの。袋の素材も、ガーゼから紙、セロファンに穴を空けたものなど様々に変遷していきました。どれにも茶殻を取り出す時に便利なように糸がつけられ、その先にはラベルがあり、業者の名前や紅茶の銘柄、商標などが記されています。

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