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史学部

No.82

農閑期になると農民はピラミッドづくりにかり出され、農民にとってそこは各地の人との交流の場だった。

1年のうち農業ができない約4カ月の間、農民を集めてピラミッドづくりに従事させたというから、いわば公共事業、失業対策であったともいえる。出稼ぎに出かける農民にとって、各地の人との交流や技術を学ぶ場でもあった。

エジプト文明はナイル川に沿って発展しました。メソポタミア文明のチグリス・ユーフラテス川や、黄河文明の黄河、インダス文明のインダス川も同様です。
ナイル川は、1年のうち7月から10月までの約4か月間、決まって氾濫します。この間は農地も水に浸かって農業ができない。そこでその時期に、農民を集めてピラミッドをつくっていたわけです。
いわば公共事業であり、失業対策なんですね。
しかも、一家の父親がピラミッドづくりで出稼ぎに行ったら、その報酬は残った家族に行くというしくみでした。

エジプト地図

いわば、お父さんは単身赴任で、給料は家族のところに銀行振込というシステムです。家族は幸せですし、もちろん出稼ぎしているお父さんも、毎日ビールを飲めてうれしいというわけです。

また別の効果もあります。
当時のエジプトでは、土地は基本的に王様の所有物であって、その土地には人が付いています。これが農民です。ですから農民は、たとえば王が代替わりして土地の所有者が変わっても、勝手に動くことはできません。
ところがピラミッドづくりに参加するときは、これは王の、国家の仕事ですから動けるわけです。しかもその現場には国中のさまざまな地方から人が集まってきていますから、いろいろな交流ができる。たとえば同じ村の中だけで結婚しないように「うちの娘をもらってくれないか」というような話もできるわけです。

さらに大きいのは技術移転です。たとえばまったく大工仕事をやったことのない人でも、ピラミッド建設現場でそういう仕事に配属されて、技術的な指導を受ける。そうすると、次の年には技術を身につけて故郷に帰ることができるんですね。

それから交易ということもあります。それぞれの地方の特産品を交換する。自分のところではこんな作物ができる、こんなものが獲れるという情報交換だけでも大きいでしょう。これはビールづくりの技術についても、うちのほうではこういうところに気をつけているとか、こうやって保存しているとかいう情報交換があったでしょう。

by 吉村作治 早稲田大学名誉教授 エジプト考古学者

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