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史学部

No.38

「冷たい場所」への飽くなき欲求
―リンデの「アンモニア式冷凍機」

カール・フォン・リンデ

 ビールの醸造法は「上面発酵」と「下面発酵」に分類される。その名称は、発酵した酵母が液体の上面に浮かぶ、あるいは下面に沈むことに由来し、前者の代表がイギリスの「エール・ビール」、後者が「ラガー・ビール」であることは、誰もが知るところであろう。

 それより重要なのは、温度と時間である。すなわち上面発酵のエールが、古くから常温のまま短期間で発酵し熟成をおこなうのに対して、15世紀に生まれた下面発酵のラガーは、低温のまま長期間ゆっくりと発酵および貯蔵・熟成をおこなうことで、雑菌の増殖をおさえることができたのである。

 しかし皮肉なことに、低温による発酵で成果をあげたラガーは、その低温こそが障害となって、数世紀におよぶ雌伏の時代を余儀なくされる。当たり前の話だが、夏場は醸造ができなかったのである。また低温を保つ貯蔵庫の確保も、まずは山麓に奥深い洞穴を掘り、そこに凍結した川や湖から氷を切り出して詰め込むという、途方も無い手間と費用を要したのであった(*1)。

▲ リンデが開発した冷凍機(初期)

 19世紀フランスの化学者ルイ・パスツールは、当時の下面発酵の非効率性を、次のように語っている。

「1キロリットルのビールの製造に、1トンの氷を消費した」
1867年 ルイ・パスツール『ビールの研究』

 こうした困難を解消したのは、やはり技術革新であった。1860年代の始め、ウィーンの醸造家アントン・ドレアーとミュンヘンの醸造家ガブリエル・ゼードルマイル2世が、最初の冷蔵設備を醸造所に設置すると、ドイツで300年以上続いていた夏期醸造禁止令が廃止(*2)。そして1873年には、ドイツの技術者カール・フォン・リンデが、24時間に6トンもの製氷をおこなう冷凍機を開発(のちにアンモニア式に改良)。これにより、ラガーは一年中、どこでも醸造することが可能となり、上面発酵にこだわっていた醸造所の多くも、下面発酵に切り替えるのであった。

▲ 人工氷のスケートリンク。
1877年、マンチェスター。
人工氷、製氷業は一大産業になりつつあった。

 「ビールといえばラガー」。そんな時代の到来が、いよいよ決定的となったのである。


(*1) フレッド・エクハード/クリスティン.P.ローズ他『世界ビール大百科』大修館書店P436
(*2) 木元富夫『近代ドイツの特許と企業社活動ー鉄鋼・電機・ビール経営史研究ー』泉文堂P151、ならびに近代ヨーロッパ後編No.39参照のこと。

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