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史学部

No.34

ラガー・ビールの下面発酵

下面発酵用地下冷温貯蔵庫

 近年、ますます多様化するビールにあって、もっともスタンダードなビールといえば、やはり「ラガー・ビール」をおいてほかにないだろう。シャープな飲みくち、クセのない苦味、そしてキレのあるノドごし…。ひとたびラガーを飲め干せば、誰もが例の「プハーッ」という言葉にならぬ声を上げ、やがて言葉にせずともよい声を上げるのである。

参考文献:ヨースト・アマン
『あらゆる職の真の描写(西洋職人づくし)』
フランクフルト、1568年刊のなかの木版画

「結局さ、ビールといえばこれだよ」

 とはいえ、歴史的な発明の多くが、ふとした偶然から生まれるように、ラガーもまた、醸造家たちの苦肉の策から、偶然、生まれたに過ぎない。15世紀、ドイツ南部のミュンヘン。「ビールといえばエール」という時代にあって、彼らが目指したものも、当初はイギリスのようなエールだったのである。

「どうもうまくいかないね」
「やっぱり、ミュンヘンのこの暑さがね、英国とは違うよ」
「それはあるね。いっそのこと、冬の間に夏のぶんも仕込んじまおうか」
「それはいいね。洞穴とか寒いところにさ、樽ごとガッと並べちまおうよ」

▲ 初期のラガー・ビール

 こうしたやりとりの真偽の程は大いに疑わしいものの、「低温で長期間、発酵と貯蔵(*1)」をおこなうことで、確かにラガー・ビールは誕生したのである。しかも飲みやすく雑菌の繁殖もない。その評判は16世紀半ばのビール純粋令で、「酵母」をビールの主原料に加え、「下面発酵」こそがラガーを生むと承認されるにいたったのであった(*2)。

 諸々の事情により(*3)、その後のラガーはローカル・ビールにとどまり、歴史の表舞台に立つことはなかった。とはいえ、下面発酵の潜在能力に目をつける者も少なからずおり、雌伏の時代を過ごしながらも、その影響力はゆっくりとヨーロッパ一帯に広がっていくのであった。

 1842年、中央ヨーロッパのボヘミアで、ミュンヘンの「ラガー酵母」が移植され、「ピルスナー・ビール」が誕生。その本家をしのぐ味わいは、瞬く間に人々を魅了していった。時代がついに、ラガーに追いついたのである。


(*1) 「貯蔵する」をドイツ語で“lagern”という。つまり「ラガー・ビール」を日本風に言うと「貯蔵麦酒」となる。
(*2) 木元富夫『近代ドイツの特許と企業社活動ー鉄鋼・電機・ビール経営史研究ー』泉文堂P133
(*3) 詳細は近代ヨーロッパ後編No.38を参照。

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