ビールの歴史
ビール純粋令と下面発酵

1516年4月23日、バイエルン大公ヴィルヘルム4世は、次のような条令を公布する。
「……ビールには成分として大麦とホップと水だけが使用されねばならない……」(*1)
これが今日もなおドイツ・ビールの精神として君臨している「ビール純粋令」である。もっとも麦芽を大麦に限定したのは、品質的な理由からではなく、稀少な小麦をパンの原料にまわすためであり、さらには条令に反して小麦を添加した「ヴァイツェン・ビール」を、王室の保護下で独占的に醸造して宮廷財政を潤すなど、そこには政治的な利害も絡んでいた(*2)。
それでもビール純粋令はバイエルンのビールを飛躍的に向上させた。1551年の改訂では「酵母(イースト)」の存在が確認され、ビールの主原料として追加。さらに翌々年には、15世紀末から始まった新しい醸造法が、ついに「下面発酵ビール」として明記されるのである。
発酵中に酵母が沈降する下面発酵は、低温でじっくり発酵し貯蔵することから「ラガー・ビール(貯蔵ビール)」とも呼ばれ、現在もっとも一般的なビールとなっている。雑菌の増殖が少なく、容易に大量生産ができ、味わいは爽やか。これまでの上面発酵、すなわち常温のまま短期間で酵母が浮かぶビールとはまったく異なる下面発酵は、まさに商業化の時代に相応しい画期的な醸造法であった。しかし当の醸造業者たちは、こんな問題も抱えていたのである。
「夏に醸造できねえ……」
冷凍機がない時代、5〜10℃の低温(*3)が必要な下面発酵は、夏場の醸造が不可能であった。そのため醸造は冬期のみと定め、仕込んだビールは氷を詰めた穴蔵で貯蔵。それを夏期の需要に当てていたのである(*4)。なかでも3月に仕込む盛夏用のビールは、保存性を高めるため大麦とホップを贅沢に添加。「メルツェン・ビール(3月ビール)」として高級ビールの代名詞となった(*5)。
下面発酵が世界的に普及するのは19世紀後半。リンデがアンモニア圧縮式冷凍機を発明して、一年を通じた醸造が可能となってからのことであった。
(*1)木元富夫『近代ドイツの特許と企業社活動』泉文堂P131
(*2)山本武司(キリンビール広報部)『うまいビールの科学』ソフトバンク・クリエイティブP157
(*3)山本武司(キリンビール広報部)『うまいビールの科学』ソフトバンク・クリエイティブP30
(*4)山本幸雄『ビール礼賛』東京書房社P73
(*5)山本武司(キリンビール広報部)『うまいビールの科学』ソフトバンク・クリエイティブP159