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ビールの歴史

本国から物資が届かなかったため、
ドゥーフは故郷のビールを
醸造することにした

日本ではじめてビールを醸造したヘンドリック・ドゥーフが長崎・出島のオランダ商館長を務めていた頃、ナポレオンの飽くなき征服によりオランダもフランスに併合されてしまった。遠く離れた長崎のオランダ商館員たちは本国との連絡もままならず、物資の調達が困難に。そこでドゥーフは自らビールを醸造することにしたのだった。

出島における宴会の様子
(川原慶賀画「唐蘭館絵巻」より、
長崎歴史文化博物館蔵)
「蘭人酒宴図」
(東京芸術大学学芸資料館蔵)

ドゥーフが商館長となって数年後、オランダからの貿易船の来航がまったく途絶えてしまう。その頃ヨーロッパではフランスのナポレオンが周辺の国々を征服し、ついにはオランダもフランスに併合されたのだった。商館員たちは、母国オランダとの連絡も取れないまま遠い異国の地で完全に孤立、物資の調達は困難となり生活は一変してしまった。当時の様子をドゥーフは、オランダ帰国後に著した日本回想録にこう記している。

我々がもっとも窮乏したのは、靴と冬の衣類だった。我々は日本の草履を作らせ、足の上を日本のなめしていない皮で覆い、出島の通りを足を引きずって歩いた。我々は私が持っていた古いカーペットから、長いズボンを作った。何か節約できるものを持っている人は、これを快くすべての人に分け与えた。(ドゥーフ著『日本回想録』永積洋子訳より)

日用品の調達もままならない生活。なかでも食生活への影響は深刻で、ビールをはじめとするアルコール類が、彼らの食卓から姿を消していった。しかし、商館員たちにとってビールのない生活など考えられない。そこで、ドゥーフはオランダから持ってきた2冊の家庭百科辞書を参考に、自らビール醸造を試みることにしたのだ。