ビールの歴史
大酒飲みのゲルマン人、
その無作法と不服従の実態

ゲルマン人が非常に大酒飲みの民族であったことはよく知られている。
彼らは野牛の角杯でビールを飲むのを常としていたが、その容量は半リットルもあろうかという大きさであった。また帝政ローマ時代の地理書には、ゲルマン人のいち支族であるキンブリ族が、およそ520リットルもある大きな青銅の釜を使ってビールをつくっていたという記録も残っている。そんなゲルマン人の酒飲みの様子を、ローマの歴史家タキトゥスは次のように記している。
「しばしば宴席に、彼らは武装して出かける。昼夜を飲みつづけても、誰ひとり、非難をうけるものはない。酔ったものの常として、たびたび起こる喧嘩は、悪罵、諍論に終わることは稀に、多くは殺傷にいたってやむ」(タキトゥス『ゲルマニア』第22章)
また次のような記述は、広大な領土を支配下に置きながら、ゲルマン人だけはなかなか征服できないローマ人の、自嘲にも似た思いが伝わってくる。
「彼らは渇き(飲酒)に対してこの節制がない。もしそれ、彼らの欲するだけを給することによって、その酒癖をほしいままにせしめるなら、彼らは武器によるより、はるか容易に、その悪癖によって征服されるであろう」(タキトゥス『ゲルマニア』第23章)
ともかくゲルマン人は究極の大酒飲みであった。そして一度ハメを外すと、ほとんどお手上げの状態であったのであろう。そんな節制のない彼らに、天下のローマ重装歩兵部隊が勝てない不思議。結局、ローマ人にとってゲルマン人とビールは、最後まで得体の知れない存在であったのかもしれない。