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芸術学部

No.3

磁器発祥の地マイセン(1)
王の情熱と錬金術師の極秘研究

西洋磁器の歴史はマイセンから始まります。しかしその誕生の裏には、磁器の製造に賭ける人々の、世紀をまたぐ苦難の歴史がありました。ドイツのザクセン選帝侯アウグスト強王の命により、錬金術師ベドガーは5年の歳月をかけて白磁製造を成功させたのです。

ドイツ地図

大航海時代も終わりに近づいた17世紀初頭、ヨーロッパでは東洋からオランダ東インド会社を通じて大量の磁器が出まわっていました。なかでも中国の景徳鎮、日本の伊万里焼といった硬質白磁の透き通るような輝きは王侯貴族たちを夢中にさせます。「シノワズリ(中国趣味)」と呼ばれる美術様式が宮廷社会で人気を博したのもこの時代。その一方で、知識人や陶工たちは磁器の製法を解明しようと研究を重ねてきましたが、本場東洋の完成度とは較べるべくもありませんでした。

ドイツ北部のザクセン公国を統治する選帝侯アウグスト強王もまた、シノワズリの熱烈な心棒者として知られるひとり。1705年、アウグストはひっ迫した経済の切り札として、錬金術師のヨハン・フリードリッヒ・ベトガーに磁器の製造を命じます。もともとザクセン公国は鉱山資源に恵まれていたので、ベトガーの実験室には国内のあらゆる鉱物が運び込まれ、石粉を陶土と練り合わせて焼くという実験が繰り返されます。そして1709年、ベトガーは、カオリン粘土7~9に対して雪花石膏(のちに長石と石英)1を調合したものを1400度の高温で焼くという白磁の製法を解明しました。

幽閉されるベドガー

アウグストはこの白磁製法を門外不出とし、情報の流出を防ぐのに躍起となります。ベトガーは監視のついた実験室に閉じ込められ、外部との接触も禁じられた状態で磁器製造に取り組みました。1710年、アウグストは情報の遮断と磁器の量産体制を敷くため、製造の拠点をドレスデンから25キロ離れたマイセンに移転。崖の上にそびえ建つ中世の要塞アルブレヒト城内に工房が設置されました。名窯マイセンの誕生です。

しかし、アウグストの措置もむなしく、ドレスデンやマイセンには各国からのスパイが忍び込み、磁器の製法は次第に国外へ流出。また有能な技術者の中には、マイセンの過酷な労働環境に嫌気がさして、プロイセンやロシア、オーストリアといった磁器工房に引き抜かれる者もいました。
一方、マイセン生みの親であるベトガーは、その後も高温窯や釉薬、絵具などを独自に改良し、マイセンの磁器を「白い黄金」と呼ぶにふさわしい品質にまで高めていきました。しかし軟禁状態の彼は次第に心身を病み、1719年、37歳の若さで息を引き取ります。マイセンが西洋を代表する名窯として大きな飛躍をとげるのは、皮肉にもベドガーの死後のことだったのです。

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