ビールの歴史
中世ヨーロッパでは、
自家用ビールがあたりまえだった

一般の家庭でも広くビール醸造が行われていた中世。家庭だけでなく、多数の修道士が暮らす修道院でもビール生産は盛んだった。こんなに飲まれ、作られていたグルートビールなのに、その醸造方法はほとんど記録に残っていない。その理由は?

中世ヨーロッパでは、ビール醸造は一般の家庭でも広く行われており、自家用ビールが、中世のビール生産の基本形だった。そのなかでも、多数の修道士が集団生活する修道院では、とくにビールの生産が盛んに行われていたという。知識階層である修道士たちは優れた醸造技術者でもあり、その伝統は現在の修道院にも伝えられている。

『あらゆる職の真の描写(西洋職人づくし)』
フランクフルト、1568年刊のなかの木版画

ところで肝心のビールの味についてどうだったかというと、当時ビールは安全性や栄養価が高く重要な飲料のひとつで、広く飲まれていたにもかかわらず、味については「また飲みたい」といった感想や、ビールを賞賛する言葉のみ。具体的な記述はひとつも残されていない。
何を使って作られていたかはある程度わかっており、大麦麦芽以外にも多くの種類の麦芽を使用していた。例えば現代では、いくつかの特別なビールだけに使用される小麦麦芽も、大麦麦芽同様に頻繁に使用されていたようだ。
しかし、グルートビールの醸造方法の記録は残されていない。家庭でも修道院でもビールを醸造することがあまりにも日常的な行為だったために、特別に記録するようなことではなかったこと。またグルートを独占販売する権利をもつ領主によって、グルートの配合法が秘密にされていたことなども、醸造方法の記録が残されていない理由だろう。 中世では、領主が独自に配合したグルートの独占販売権 、「グルート権」を持っており、ビールをつくる人々はそのグルートを買わなければならなかった。そこから得られる収益は、領主の収入になった。
