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ビールの歴史

ローマ人の歴史家が目の当たりにした
ゲルマン人のビール

古代ヨーロッパゲルマニア地方

ゲルマン人はいつからビールを飲んでいたのか。そのヒントとなるのが、彼らがビールの容器として使用していた野牛の角、すなわち角杯である。ドイツ北部で発見された紀元前12世紀頃のものとされる角杯。そこから検出されたのは、ハチミツによってアルコール濃度を高めたと思われるビールの残滓であった。これにより遅くとも紀元前12世紀頃には、ゲルマン人はビールを飲んでいたことが考えられる。
西暦98年にローマの歴史家タキトゥスが執筆した『ゲルマニア』は、当時のローマ人から見たゲルマン人の生活や風習が詳細に描かれ、今もなおゲルマン研究の第一級資料とされているが、ビールについても次のように記している。

「飲料には、大麦または小麦より醸造(つく)られ、いくらか葡萄酒に似て品位の下がる液がある」(タキトゥス『ゲルマニア』第23章)

この「葡萄酒に似て品位の下がる」という表現を、ローマ人であるタキトゥスが、ゲルマン人に対する優越心から書いたものなのか、それとも繁栄を謳歌するローマの風紀の乱れを苦々しく感じていた彼が、ビールをワインと似た「堕落した飲み物」とみなして書いたものなのか、解釈はわかれるところである。いずれにしろ、当時のゲルマン人はビールの保存や味付けのため、自生する「やちやなぎ」や「いそつつじ」、「マンネンロウ」や「西洋のこぎり草」など、種々雑多な植物を使用していた。時には人体に悪影響をおよぼす鉱物なども混ざっていたというから、その品質は推して知るべしであろう。