ビールの歴史
古代ヨーロッパをビールと
ともに生きたゲルマン人

紀元前4世紀初頭。ゲルマン人について最も古い記述を残した探検家のピュテアスは、彼らが野牛の角杯で豪快に喉をうるおす姿を見て、こうたずねたに違いない。
「君たちが飲んでいるその液体はなんだ」
「ビールだ。あんたも飲むか」
「いや結構」
無論すべての発言は憶測である。しかしギリシア植民地マッシリア(現在の仏マルセイユ)出身のピュテアスにとって、酒といえばルビー色に輝くワインだった。彼はたずねたに違いない。
「君たちはワインは飲まないのか」
「言ってる意味がわからん」
ローマ人が地中海全域を支配し、空前絶後の大帝国を築き上げた古代ヨーロッパ。しかしライン川とドナウ川の向こう、現在のドイツから北欧・東欧の一帯は、森林と沼沢が支配する暗黒の地として、ローマ帝国の力がゆき届くことはなかった。ローマ人はこの地をゲルマニアと呼び、そこに住むゲルマン人を野蛮人としてなかば蔑み、なかば恐れを抱いていたのである。
ゲルマン人には国家という枠組みがなく、各部族がそこかしこに集落を形成していた。当然、ギリシアやローマのような高度で洗練された文明もなく、ほとんどの部族が自給自足に近い素朴な生活を営んでいた。そんな彼らの日々の暮らしで、欠かすことのできない飲み物、それがビールであった。のちにピュテアスはゲルマン人が飲んだビールをこう記している。

「彼らはきびと麦を栽培して酒をつくっていたが、この酒には穀類だけでつくったものと、一部ハチミツを加えてつくったものがある」(ピュテアス『大洋』)
ゲルマン人とビールは、その後もローマ帝国の繁栄の影に隠れて、長い雌伏の時代をおくる。しかし彼らが日々つくり続けたビールは、ヨーロッパの土壌にしっかりと根づき、やがて訪れるビールの発展の大きな萌芽となるのであった。