ビールの歴史
時代が求めたピルスナー

イギリスの産業革命から遅れること1世紀あまり。ドイツやチェコのボヘミア・モラヴィア地方を含む中央ヨーロッパでは、19世紀半ばから、機械工業や繊維工業、食品工業などが集中しておこり、中欧工業化を推進していた(*1)。ピルスナー・ビールは、そうした中欧産業革命ともいえる活況を背景として、1842年、ボヘミア地方のピルゼン市で誕生した。
いっぽう、当時のイギリスは、産業革命が抱える諸矛盾が噴出し、「飢饉の40年代」と呼ばれる、不安に満ちた時代を送っていた(*2)。ロンドンの貧民街では、ビールより安価なジンを痛飲した酔っ払いが徘徊し、飲酒問題が深刻化。市民による熱心な禁酒運動がおこなわれたのもこの頃である。
そうしたなか、1845年にガラス税が撤廃されると、これまでの陶製ビヤマグに代わって透明のビヤグラスが出回るようになり、人々は否応なくビールの「色」に触れることとなった。黒みをおびたエールの素っ気なさに対して、ピルスナーの透き通った黄金色の輝きを目の当たりにした、当時の人々の衝撃はどれほどのものであったか。しかもよく見ると、無数の気泡が軽やかに浮沈している。グラス越しのピルスナーをうっとり眺めながら、人々は男と女、労働者と中産階級に関わらず、こうつぶやいたに違いない。

「……おしゃれ」
ピルスナーとガラスの運命的な出会いが、輝かしい新時代の先駆けとなり、50年代に入ったイギリスは、これまでの10年が嘘のような好景気に湧き、ヴィクトリア朝時代の黄金期を迎えることとなる(*3)。労働者の生活水準も著しく向上し、生活に余裕のできた人々は、これまでのように、酔っぱらうためにビールを飲むのではなく、味や香りやノドごしを楽しむ、嗜好品としてのビールに目覚めていった。そんな彼らの愛したビールが、ピルスナーであったことは言うまでもない。
時代が求め、時代を彩ったピルスナー。それは時代を超えた今もなお、変わらぬ鮮度で、人々を魅了し続けているのである。
(*1) 木元富夫『近代ドイツの特許と企業社活動ー鉄鋼・電機・ビール経営史研究ー』泉文堂P156
(*2) 角山榮・川北稔『路地裏の大英帝国 イギリス都市生活史』平凡社P52
(*3) 1851年に世界初の万国博覧会として開催されたロンドン万国博は、そんな黄金期を内外に誇示する一大ページェントであった。来場者数はのべ600万超。なお会場内は禁酒禁煙であった。