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ビールの歴史

ビールといえば
イギリスのエールだった

近代ヨーロッパイギリス

 イギリスにおけるビールの歴史は非常に古く、ブリタニアと呼ばれた古代ローマ帝国の統治下時代から始まり、5世紀にゲルマン系のアングロ・サクソン人が支配する時代になって、次第に「エール」という呼び名が定着。以後、今日にいたるまで独自のエール文化を築いていった。

 伝統にこだわり、常温のまま発酵をうながすエールの「上面発酵」は、常に雑菌の繁殖と隣り合わせであった。しかし、夏は涼しく冬は温暖なイギリスの気象条件は、エールづくりに非常に適していた。また抗菌作用がありながら、「伝統に反する」として禁止していたホップの使用も、18世紀に入る頃には、「いいものはいい」ということになりフル活用。安定した品質と先進の醸造施設は、ドイツをはじめとする醸造家たちの憧憬するところとなり、同業者の「イギリス醸造所詣で」が一種の流行ともなった(*1)。

 近代に入りエールの人気は頂点を迎える。その先陣をきったのが、18世紀初頭に一世を風靡した「ポーター」である。複数のエールをブレンドしたポーターの「お手頃感(*2)」は、港湾の荷物運び(通称porter)を中心に爆発的な人気を博し、イギリスのビール醸造業を一大産業へと躍進させる原動力となった。

▲ イギリスのエール

 つづいて人気となったのが、ホップをふんだんに使った「淡い(pale)」色合いが特徴の「ペール・エール」である。これは統治下のインドにも運ばれたが、「IPA(インディア・ペール・エール)」と称される特別仕立てのそれは、麦汁濃度、アルコール度、ホップの量すべてを、過剰に上げたシロモノで、ホップにおいては、日本の平均的ビールの6〜8倍に相当する添加量であった(*3)というから、その苦味たるや、さだめし「インド人もびっくり」であろうと想像される。しかし意外にも、5ヶ月におよぶ船旅で赤道を2度超えるうちに、ビールの希薄化が進み、ドライかつ強炭酸のビールになっていたというから、今となっては不問に付すしかないだろう。(*4)。


(*1) 要するに産業スパイである。その中には、後年、ラガーを再興させる醸造家、ガブリエル・ゼードルマイル2世も含まれていた。(近代ヨーロッパ後編No.38~39参照)
(*2) なぜなら、少しぐらい酸化したエールなら、混ぜてもバレないからである。(フレッド・エクハード/クリスティン.P.ローズ他「世界ビール大百科」大修館書店P405)
(*3) 村上満『ビール世界史紀行 ビール通のための15章』東洋経済P41
(*4) フレッド・エクハード/クリスティン.P.ローズ他「世界ビール大百科」大修館書店P39