ビールの歴史
蒸気機関がビールを変えた

イギリスの産業革命は、増え続ける鉄の需要と、石炭を新たな燃料とするコークス製鉄法の稼働をきっかけとして始まった(*1)。しかしそれが真に革命的となったのは、18世紀後半にジェームズ・ワットが、蒸気機関を発明してからのこと。さらに1825年、ジョージ・スチーブンソンが制作した蒸気機関車「ロコモーション1号」によって鉄道時代が幕を開けると、産業革命はここにひとつの頂点を迎えるのであった。
蒸気機関は当然ながら、ビール醸造業にも革命をもたらした(*2)。当時のロンドンを代表するウィットブレッド社は、蒸気機関をいち早く醸造所に導入し、およそ10馬力の力で、水の汲み上げや麦芽の粉砕をおこなった。10馬力、つまり馬10頭分の力である。しかも機械は、馬のように疲れたり人参を求めたりしないのである。
また19世紀半ばに隆盛を極めたバートン地方のバス醸造所では、敷地内に鉄道の引込み線が延べ20キロにわたって張り巡らされ、11台の機関車が走り回っていたというから、当時の活況ぶりが目に浮かぶようである(*3)。

もちろん商業圏も一気に拡大した。有史以来、人類は長距離の運搬において、人力(つまり歩いて運ぶのである)、もしくは馬力(つまり家畜に運ばせるのである)以外の手段を持ちえなかった。さらに舗装されていないデコボコ道となると、一日にビールを運べる距離はせいぜい30キロ程度。それ以上急ぐと、ビールの樽が破裂する恐れがあったからである(*4)。ところが蒸気機関車の登場によって、ビール樽はフラットな鉄道の上を、時速60キロ超のスピードで、あっという間に目的地までもっていかれてしまった。しかも蒸気機関車は、馬のように疲れたり人参を求めたりしない。
「ありゃ、鉄の馬だ」
蒸気機関車が運んできた新鮮で冷たいビールを手にした人々は、一陣の疾風のごとく走り去るそれをはるか遠くに望みながら、こう呟くしかないのであった。
(*1) 角山榮「生活の世界歴史10産業革命と民衆」河出書房新書P31〜32
(*2) むしろビール醸造業ほど蒸気機関の恩恵を被った産業は、鉱山業を除いて他にない。
(*3) フレッド・エクハード/クリスティン.P.ローズ他「世界ビール大百科」大修館書店P337
(*4) フレッド・エクハード/クリスティン.P.ローズ他「世界ビール大百科」大修館書店P337