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ビールの歴史

ツンフトの形成

 商業の復活とともに都市が誕生し、しだいに自治都市として領主の保護から解放されつつあった頃、新興の商工業者たちは共存共栄をめざして、同業組合の「ギルド」を形成するようになった(*1)。

 しかし家内醸造の延長から始まったビール醸造業は、長いあいだ独立した産業とみなされず、市民醸造業者の多くも、醸造のいっさいを「ブラウマイスター(醸造職人)」に任せていた。こうして15世紀半ばから、ギルドに対する職人組合の「ツンフト」が、ブラウマイスターたちの間でも形成されていった(*2)。

 ツンフトの活動は、価格や品質の決定、労働時間の制限、福祉増進など多岐にわたった(*3)。また慈善院や教会、学校への寄付も積極的におこない、町の祭典では人々にビールをふるまった。とりわけマイスターの親方は人格者であることも求められ、醸造職人や徒弟たちの技術訓練から人間形成にいたるまでの責任を負っていた。

  親方「おい、娘さんが嫁入りだって? よかったじゃねえか」
  職人「でも娘のやつ、持参金が少ないとか、不平ばっかりで困ってまさあ」
  親方「そんなこったろうと思ったぜ。ほらよ、心ばかりの祝儀だ。受け取りな」
  職人「親方、面目ねえ…(涙)」

 もともとツンフトとは、修道院内の建設技師たちから出発した組織であり、その活動はキリスト教的な社会奉仕、相互扶助の精神に基づくものであった。そのため親方も職人も徒弟も、ツンフトに関わる者はすべて兄弟同然であり、部下の娘の持参金が足りないと親方が立て替えてやるといったことも実際にあったようである(*4)。

 その反面、ブラウマイスターを目指すには厳しい訓練過程を終了せねばならず、徒弟はいくつかの醸造所を巡り歩いて腕を磨いた。こうした修行を積み重ねて、徒弟は一人前のブラウマイスターとなり、ビールづくりに携わる者としての自覚と誇りを持つようになるのであった(*5)。

(*1)井上幸治編『西洋史入門』有斐閣双書P88
(*2)木元富夫著『近代ドイツの特許と企業社活動ー鉄鋼・電機・ビール経営史研究ー』泉文堂P142
(*3)山本幸雄『ビール礼賛』東京書房社P78
(*4)大草昭『ビール・地ビール・発泡酒』文芸社P150
(*5) 山本幸雄『ビール礼賛』東京書房社P79