ビールの歴史
ビールで潤うハンザ同盟

ひとことで都市といっても、その成立や発展のプロセスは地域によって様々であった。王権による支配が強かったフランスやイギリスでは、自治都市の台頭も限られ、中央集権化がすすむなか、市民のあいだでは国民国家としての意識が芽生えていった。いっぽう国家の基盤が脆弱なドイツやイタリアでは、都市同盟や都市国家という形で、みずからの存続をはかるようになった(*1)。
リューベック、ハンブルク、ブレーメンといったドイツ北部の都市が中心となって形成されたハンザ同盟は、14世紀後半の最盛期には、加盟都市が90を超えるまでに勢力を拡大(*2)。みずからで傭兵も所有し、その影響力は国家に匹敵するほどであった。
貿易の中継地として栄えたハンザ同盟の諸都市において、ビールは主要な取引商品であった。なかでも小都市アインベックで1351年(*3 )に誕生した「アインベック・ビール」は、北部ではまだ珍しかったホップの添加で名声を博し、代理販売をしていたハンブルクは急速に販路を拡大。ドイツ南部のバイエルンをはじめ、北海やバルト海を渡って、オランダ、スウェーデン、ロシアにまで広がり、ハンブルクの市庁舎は「アインベックの家」と呼ばれるほどであった(*4)。
1376年の記録によると、ハンブルクの商工業者全1075名のうち、4割以上の457人が醸造業に関わっていたという(*5)。また同時期に起こったデンマークとの漁業権をめぐる戦いでは、ハンブルク軍は食費の3分の2をビールに当てており、会計簿には20人の船員が1日平均56ガロン(約255リットル)のビールを飲んでいたと記載。これは一人あたり、1日12リットル強ものビールを飲んでいたことになる(*6)。
「こんなに飲んぢまって、俺たち、ちゃんと戦えるだろうか」
戦地におもむく海上で、ふとそんな不安にかられた船員が、いたのかいなかったのか、今となっては知る由もない。いずれにしろ、ハンブルクをはじめとするハンザ同盟の諸都市が、世界に冠たる醸造都市であったことは歴史的な事実である。
(*1)井上幸治編『西洋史入門』有斐閣双書P90
(*2)春山行夫『ビールの文化史2』平凡社P202
(*3)木元富夫著『近代ドイツの特許と企業社活動ー鉄鋼・電機・ビール経営史研究ー』泉文堂P139
(*4)山本幸雄『ビール礼賛』東京書房社P70
(*5)阿部謹也『中世ハンブルクのビール醸造業と職人』一橋叢書P50
(*6)春山行夫『ビールの文化史2』平凡社P203