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ビールの歴史

都市から生まれたビール醸造業

 政治的な混乱や異教徒の侵入など、長く続いた不安と苦悩の時代を経て、ようやく回復の兆しがみえた11世紀半ば。中世ヨーロッパ世界は、これまでの溜まったエネルギーを吐き出すように、進化と発展の時代を迎える。大規模な開墾や農耕技術の革新は、生産の大幅な上昇と人口の増加をもたらし、人々に芽生えた自信と好奇心、そして篤い信仰心は、聖地巡礼から十字軍の遠征へと向かった。人と物とが旺盛に行き交い、さまざまな覚醒が始まった中世後半期。そんな時代を象徴するのが次の言葉である。

 「都市の空気は自由にする」

 商業の復活と都市の誕生。それは1000年におよぶ中世ヨーロッパ史の、もっとも劇的な変化であった。もちろん封建制度が確立した社会にあって、都市もまた当初は領主の保護下にあった。しかし新たに台頭した商工業者らの市民は、次第に自由を手に入れ、ついには自治権を獲得。そうしたなかで、ビールもまた、領主から市民の手に委ねられることになるのであった。

A「おい、ビールでひと商売したいのだが、どうだい」
B「やめとけ。お前さんがつくったビールに、わざわざ金を払うモノ好きが、どこにいるんだい」
A「勘違いしてもらっちゃ困るぜ。ビールをつくるのは、ウチのカミさんよ」
B「同じことじゃねえか」

 そんなやりとりが市民の間で交わされたかどうか、今となっては知る由もない。しかし商業の復活と都市の誕生は、家内醸造でまかなうのが当たり前だったビールを商品へと変え、市民醸造業者の出現をうながしたのである。そんな変化と合わせるように、品質への取り組みも活性化。さまざまな醸造規制やホップの使用、下面発酵の誕生など、今日にいたるビール文化の隆盛を準備したのもこの時代からであった。

 家内醸造から市民醸造業者による大量生産の時代へ。ビールはついに商業化、そしてグローバル化の道を歩み始めたのである。

●参考文献
堀越孝一編『新書ヨーロッパ史 中世篇』講談社現代新書
J.M.ロバーツ『図説 世界の歴史5・6』創元社
C.メクゼーバー、E.シュラウト編『ドイツ中世の日常生活』刀水書房
井上幸治編『西洋史入門』有斐閣双書
甚野尚志・堀越孝一編『中世ヨーロッパを生きる』東京大学出版会
ハインリヒ・ブレティヒャ『中世への旅 都市と庶民』
阿部謹也『中世を旅する人びと』平凡社
大草昭『ビール・地ビール・発泡酒』文芸社
村上満『ビール世界史紀行』東洋経済新報社
山本幸雄『ビール礼賛』東京書房社
春山行夫『ビールの文化史2』平凡社
山本武司(キリンビール広報部)『うまいビールの科学』ソフトバンク・クリエイティブ
その他多数