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ビールの歴史

我が道をゆく
イギリスの「エール文化」

 イギリスでは古代ローマの統治下になるはるか以前から、穀物でつくる酒を「エール」と称し、5世紀頃のウェールズ地方では、年貢の支払いとして1樽のハチミツ酒かもしくは2樽のスパイス入りエール、4樽の普通のエールを用意したという。

 キリスト教が早くから根づいたイギリスでは、6世紀末にはカンタベリー教会が建てられ、この地の風習にならって修道士たちもエールを醸造するようになった。修道院のエール醸造係は特別な尊敬を受け、ウィンチェスターの聖スウィザンの修道院では、醸造のための特別の祈りが捧げられたほどであった。しかし時には失敗もあったとみえ、ダンスタブルの修道院に残る1262年の年代記には、以下の様な簡潔にして味わい深い記述が確認できる。

 「この年、ヨハネ節(6月24日)の頃、我々のエールは失敗した」

 またイギリスにはローマ統治の時代に敷かれた見事な道路網が現代に至るまで活用されており、これらの道路沿いに旅籠屋(イン)や居酒屋(エールハウス)が出現。9世紀末には巡礼者たちの宿泊や飲食施設として、おびただしい数のインやエールハウスが建ち並ぶこととなった。家庭のビールづくりは女性の仕事とされていたのはイギリスも同様で、エールハウスを切り盛りするのも、「エールワイフ」と呼ばれるビールづくりに習熟した女主人であった。彼女たちエールワイフが、男まさりの気風の良さで客を集めたことは、今と変わりがないようである。

 10世紀のイングランド王エドガーは、こうしたエールハウスの増加によって人々がエールを飲みすぎることを心配して、各村にエールハウスは一軒のみとするよう命じたという。12世紀にはイギリス人がビール好きだという評判は、ヨーロッパ大陸に知れ渡っており、ローマ・カトリックの最高峰である教皇インノケンティウス3世までもが、イギリス人はエールを飲みすぎるとの苦言を呈したというから、イギリス人の並外れたエール好きもまた、今と変わりがないようである。