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ビールの歴史

封建制度と農民のビール

 カール大帝のフランク王国が西ヨーロッパ世界を統一したのも束の間、彼の死後、王国は分裂しやがて消滅。この間、ノルマン人やイスラム教徒の度重なる襲撃もあり、9世紀後半から10世紀にかけて、西ヨーロッパ世界は再び混乱の時代を迎えた。こうした不安定な状況を背景に形成されていったのが封建制度である。

 フランク王国の分裂によって、強力な統治者を失った地方の豪族たちは、みずからの土地を守るため、それぞれの領内で独自に権力を確立。周辺の村落を治め保護しながら、農民からは労働や作物などの租税を徴収し、領土の維持につとめた。このように封建制度は、狭い地域内での密接な主従関係から成り立ち、農業技術の発達や人口の増加、大規模な開墾活動などによって、11世紀後半には最盛期を迎えることになった。

 しかし封建制度が確立されると、農民たちは以前のように自由にビールをつくることができなくなった。これまでビールづくりは女性の仕事と決まっており、各集落ではそれぞれが自家用のビールをつくって自由に飲んでいた。ところが封建社会では領主がビールの醸造権を独占し、自家醸造が許された場合も、原料となるハーブ類の使用から、粉挽きにいたるまで、すべて領主の管理下にあったのである。

 農民「粉挽きの旦那、これからビールをつくるんで、ちょいと水車で麦を挽かせてくんねえかな」
 粉挽き「この水車は領主様のものだ。使うには、お前さんが挽いた粉の16分の1、使用料として頂くぜ」
 農民「チッ、まったく領主様も、あこぎな真似をしなさるぜ」

 それでも農民はビールを飲むことをやめなかった。村の中心地にはたいてい一軒の旅籠や雑貨屋を兼ねた居酒屋があり、畑仕事を終えた彼らはそこで一杯やった。また祝祭の日には盛大にビールを飲んで楽しんだ。なかでも最大である秋の収穫祭では三日三晩ビールを飲みながら踊りつづけたという。ゲルマン人の子孫である彼らにとって、ビールなしの生活はやはり考えられないのである。