ビールの歴史
修道院とビールの意外な関係

キリスト教が広がりをみせた中世ヨーロッパで、修道院が果たした役割は極めて大きい。それは信仰を深める宗教的な場としてだけでなく、農作業や開墾といった労働がもたらす生産の場として、人々の暮らしに安定をもたらしたのである。ビールの醸造もまた、そうした修道院という共同体による、生産活動の一環に他ならない。
お茶やコーヒーもなく、清潔な水の確保すら困難であった中世ヨーロッパの時代。人々は喉が乾くと薄いビールで水分を補い、疲れがたまると強濃度のビールで英気を養った。彼らにとってビールとは何より「生きる糧」であり、修道院ではみずから飲むビールのほか、巡礼者や行商人、浮浪者など訪問客用のビールも醸造していた。そして「ヨーロッパの父」と称されるフランク王国のカール大帝もまた、そんな来訪者のひとりだったのである。
廷臣「大帝、これから参ります修道院は、大麦をふんだんに使った一番搾りのビールが、大そう美味しいとの評判てございます」
カール「うむ……(ゴクリ)」
混乱が続いた西ヨーロッパを統一したカール大帝(在位768〜814)は、キリスト教による統治をめざして、各地に教会や修道院を建立。みずからも定期的に巡回し、領土の安定につとめた。滞在先の修道院はときに宮廷の役割も果たし、そこでは修道士が念入りに醸造した貴賓用のビールが振る舞われた。大のビール好きとして知られるカール大帝が、それを飲みながら長旅の疲れを癒やしひと言。
「うまいが一番」
と言ったかどうかは定かでないが、ビールがこの時代に盛んにつくられたのは事実であり、なかでも修道院ビールの優れた品質は、来訪者の風評で広く知られるところとなった。それにはもちろん、醸造工程を科学的に分析し体系化した修道士たちの地道な研究努力があったことは言うまでもない。
人々が日々の暮らしに精一杯だった時代、ゆっくりと勉学に勤しみ、古典古代の教養に触れることのできた修道士は、中世における唯一の知的特権階級であった。のちにホップの使用を発明したのも彼ら修道士であり、今日のビールの発展は中世の修道院を抜きにしては語れないのである。