ビールの歴史
江戸末期、日本最大規模の
港町横浜の居留地は、まるで西洋だった

200年以上も鎖国が続いたのち、黒船来航をきっかけに日本はついに開国。西洋の国々との通商条約が結ばれ、横浜は日本最大の港町として発展をはじめた。外国人が住む居留地内では食事から娯楽にいたるまで、西洋風の生活ができたという。そんな横浜の地にビール醸造所が次々と設立されたのだ。
江戸時代、オランダ以外の西洋の国々との交易を200年以上にわたって行っていなかった日本。黒船の来航によってその重い扉は開けられ、開国を余儀なくされる。1858(安政5)年にはアメリカ、イギリスなど西洋の国々と通商に関する条約が結ばれ、横浜・長崎などが開港場として選ばれた。横浜は、幕末の貿易取引の80%がここで行われたというほど、日本一の規模を誇る港町となった。
開港以来、日本に住む外国人は、横浜などの限られた地域(居留地)での生活を強いられていた。そのため、居留地内ではパンやビールなどの食品が売られ、英字新聞が発行され、ダンスクラブなどもできた。これらのおかげで、居留地では西洋風の生活を送ることができたのだった。
居留地の外国人はビールをはじめとした西洋のお酒を楽しむこともできた。開港から6年後の1865(慶応元)年には、早くも現在でいうビアホールのような店がオープンしたという話もある。明治時代になると、横浜にはビール醸造所が次々と設立された。横浜のビールに親しんだのは居留地の西洋人ばかりではない。新橋〜横浜間に鉄道が敷かれると、横浜のビールは東京でも販売され、神戸や長崎などの港町には船で運ばれた。こうして、日本各地に横浜のビールが出回るようになっていった。



幕末の横浜市街地と横浜港の様子(横浜開港資料館 蔵)
