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ビールの歴史

コープランドのビール醸造所は横浜・山手。
良質な湧き水が決め手になった

明治維新後まもなく、コープランドはビール醸造所スプリング・バレー・ブルワリーを横浜・山手に設立する。醸造所周辺は良質な水が豊富に湧き出ていたからであった。

祖国を遠く離れた日本でビール醸造に乗り出すことに決めたコープランドは1869(明治2)年、横浜・山手の123番地など4区画の土地を買い求めた。この一帯は「天沼」と呼ばれており、周辺に豊富に湧き出ていた良質な水がビール醸造にふさわしいと判断したためだ。

天沼の風景(横浜開港資料館 蔵)

1870(明治3)年頃、横浜・山手の天沼に、コープランドは醸造所を設立。完成した醸造所はスプリング・バレー・ブルワリーと名づけられた。醸造に使う道具や機械類、麦芽、ホップなど原料の大部分をアメリカから輸入すると、ただちにビール醸造が始められた。醸造したビールは需要に合わせて6種類。輸入ビールに比べて手頃な価格、しかも新鮮なコープランドのビールは居留地に住む多くの外国人に喜ばれたという。