ビールの歴史
古代ローマの偉人たちがみた
ゲルマン人のビール

ゲルマン人が北方で自給自足に近い素朴な生活を営んでいた頃、ローマ帝国は地中海全域を支配し、空前絶後の繁栄を謳歌していた。
高度で洗練された文明を誇ったローマ人にとってお酒といえばワイン。北方のゲルマニアとは違い、乾燥と日差しが厳しい地中海性気候のローマは、穀物と同時にオリーブやブドウといった果樹栽培にも適し、良質のワインをつくることができた。保存性が悪く風味が劣化しやすいビールは、必要とされなかったのである。ローマ皇帝ユリアヌス(在位361〜363年)は、視察旅行の途上でゲルマン人からビールを献上され、次のように評している。
「美酒の誉れ高いワインとは、なんたる違いか。これはまるで、山羊の悪臭がする!」
しかし帝国の礎を築いた英雄ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は、7年間にわたるガリア遠征のさなかにガリア人やゲルマン人と接し、ビールに慣れ親しんでいた。彼は紀元前49年、「賽は投げられた」の名文句で名高いローマ侵攻の際、部下の労をねぎらう酒宴でビールをふるまったと言われている。
カエサルがビールに親しんだガリア地方は、現在のフランス、ベルギー、オランダにあたる地域で、そこではガリア人が古くからビールをつくっていた。彼らは最高のビールづくりをすることで知られていたが、それは、古代メソポタミアのように、パンから発酵させるのではなく、乾燥した麦芽を水と混ぜ、それを煮沸してもろみの糖化をおこなう、現在のビールのルーツともいえる醸造法をおこなっていたのである。