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ビールの歴史

ビールだけではない!
マッチもカメラも幸民が
「日本で初めて」だったといわれる

幸民がおこなった蘭学の授業を筆記した『遠西奇器述』には、写真機や電信機、蒸気機関など当時の最新の西洋技術が紹介されている。彼は、そうした日本人にとって未知なる技術の研究や実験に果敢にチャレンジしたのだ。

『遠西奇器述』
(長崎大学附属図書館
経済学部分館 蔵)
自作の写真機で撮った肖像
(日本学士院 蔵)

幸民が試みた実験には、たとえば以下のようなものがある。

■マッチ:1848(嘉永元)年頃
マッチは1827年にイギリスで発明された。当時のマッチは現在のマッチと違い、自然発火してしまう非常に危険なものでしたが、幸民は実験と試行錯誤を繰り返しながら、燐(リン)を使って、日本最初のマッチの製造に成功したといわれている。

■写真機(銀板写真):1851(嘉永4)年頃
    (湿板写真):1861(文久元)年頃
まずはプリントが1枚しかできない銀板写真をつくることに成功し、1861年には複数プリントの可能な湿板写真の撮影にも成功。この写真機で撮影した幸民自身の写真は、いまも大切に保存されている。

これらの実績から、幸民は実験を重視する化学者であったことがわかる。実際にものをつくってみるという好奇心が、ビール醸造へとつながっていったのだ。