ビールの歴史
幸民は『化学の学校』でビールの
醸造法を知り、それを実験として試みた

川本幸民が日本人で初めてビールを醸造したのは、ビールが飲みたかったからというわけではない。彼は熱心に化学や物理学を学ぶ中でビールの醸造方法を知り、マッチや電信機などと同様に実験を行ってビールづくりを試したのだった。

(オランダ語版、国立国会図書館 蔵)

幸民は、欧米の先端技術を日本に紹介するのに大変貢献した人物だ。彼は故郷から江戸に出てまずオランダ医学を学ぶが、ほどなく蘭学者・坪井信道に入門し、現在でいう化学と物理学を熱心に学んだ。また、物理学の体系書である『気海観瀾広義』、蒸気機関や写真機などのしくみについて解説した『遠西奇器述』など、物理・ 化学書の著述や翻訳に積極的に取り組んでもいた。
そして幸民はヨーロッパで広く読まれていたドイツの農芸化学書 『化学の学校(Schule der Chemie)』のオランダ語版を和訳し、『化学新書』を著す。この書物の中にビールの醸造方法が詳しく書かれていることから、彼は『化学の学校』でビールの醸造法を学んだと考えられる。
幸民は最先端の科学技術を知識として受け入れるだけでなく、実際に実験を行って試していた。実験の一環として日本初のマッチや電信機、銀板・湿板写真などの製作も行っている。この実験家としての情熱が、彼をビール醸造に駆り立てた要因かもしれません。