ビールの歴史
ナポレオンが強くなかったら、
ドゥーフはビールを醸造しなかったかもしれない



19世紀初頭、長崎・出島へのオランダ船の来航が途絶えてしまったため、当時のオランダ商館長ドゥーフは自らビールの醸造に着手する。もしも、それまで通りビールが本国から届いていたとしたら、日本で初めてビールを醸造するのはドゥーフではなかっただろう。
ドゥーフが商館長だった当時、ヨーロッパはナポレオン戦争のさなかだった。ナポレオン率いるフランス軍とイギリスをはじめとした周囲の国との覇権争いは、ヨーロッパ大陸に加えて世界中に広がる植民地にも波及する。日本周辺の海域は当時オランダを支配していたフランスの敵国であるイギリスが支配しており、出島のオランダ人を脅かしていた。ドゥーフが商館長に就任してから7年後の1810(文化7)年、ついに母国オランダがフランスに併合されてしまう。
これら一連の戦争の影響で1809(文化6)年には出島へのオランダ船の来航が途絶えてしまい、交易が正常に再開されたのは1817(文化14)年のことだった。本国からの物資が届かなかったため、ドゥーフは自らビールをつくることにしたのだった。もしもナポレオンのフランスにオランダが屈しなかったら、日本のビールの歴史も違ったものになっていただろう。