[ここから本文です。]

ビールと器

東洋の純白の磁器が
西洋に与えたインパクト

マルコ・ポーロがもたらしたといわれる純白の東洋の磁器。焼き物といえば、土色を帯びた肉厚の陶器しか知らなかったヨーロッパの人々にとって、それはとてつもない驚きでした。

 ヨーロッパに初めて磁器をもたらしたのは、イタリアの商人で冒険家のマルコ・ポーロであると言われています。13世紀末に編纂された彼の旅行記『東方見聞録』には、中国における磁器づくりの盛んな様子が記されています。

 磁器のことを「ポーセリン(porcelain)」と呼ぶようになったのもこの頃。これはタカラガイを意味するラテン語のポルチェラ(porcella)に由来しています。透き通るほどの薄さと、一点のにごりもない純白の輝き。東洋からもたらされた磁器は、焼き物といえば、土色を帯びた肉厚の陶器しか知らなかったヨーロッパの人々にとって、とても人間ワザとは思えなかったに違いありません。磁器に毒を注ぎ込むと自然と破砕する。そんな迷信まで、中世の名残をとどめる時代にあっては、まことしやかに語られていたほどです。いずれにしろ、こうした数々の伝説が、時の権力者たちに、磁器に対する渇望をいっそう高めたことでしょう。

 
色絵花鳥文輪花皿
(柿右衛門様式)

 磁器の秘法を解明する。この難題に最初に取り組んだのが、ルネサンス期のイタリア人陶工たちでした。ヴェネツィアでは伝統のガラス工芸から磁器の技法へのアプローチを試み、陶芸の街ファエンツァも、東洋の磁器の模倣に力を注ぎました。もっとも彼らが習得していた錫釉陶器のマジョリカ焼きは、それ自体がすでにイスラム文化を通して、間接的に中国の磁器から影響を受けたものでした。結果として彼らの努力は、マジョリカ焼きの発展には貢献したものの、磁器の本質的な解明には至りませんでした。

マイセン「冬の三友」

 ヨーロッパの陶工たちにとって、磁器の解明とは、すなわち「白さ」の解明でもありました。錫釉陶器のマジョリカ焼きが、16世紀に入ってフランスやオランダへと伝播するのも、地肌に掛かった白い錫釉の光沢に、東洋の磁器を思わせるところがあったから。しかし17世紀に入って、中国や日本から、真正の磁器が大量に運ばれるようになると、一部の陶工たちは、磁器の秘密が、釉薬にではなく地肌そのものにあることを知ります。そしてそれは、磁器解明までの道のりが、依然として途方もなく長いことを再認識することでもありました。

 ドイツ・ザクセン公国で錬金術師ベトガーが、良質なカオリン粘土を産出して、ついに白く輝く硬質磁器を完成させたのは、それから100年あまりのちの18世紀初頭のことでした。