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ビールと器

15世紀中頃のドイツ

ドイツで焼きもののビヤマグが使われ始めたのは、ライン炻器(せっき)と呼ばれる焼きものが発展した15世紀中頃です。安定感のあるフォルムと、素朴でユニークなデザインも特徴で、今も形を変えて多くの人々に親しまれています。「バルトマン・クルーク(髭男マグ)はその代表的なものです。当時の絵画にもビヤマグが描かれています。

 15世紀の中頃、ビールの本場ドイツで、焼きものとしてのビヤマグが使われ始めました。これは、良質な陶土と燃料となる森林に恵まれたラインラント地方(ライン川流域)で、「ライン炻器(せっき)」と呼ばれる焼きものが発展をとげてからだとされています。

 炻器とは、耐火性の高い陶土を1200~1400度の高温で焼き締めたもので、石のように硬くなることから、英語では「ストーンウェア」と呼ばれています。ラインラント地方には、ローマ帝国時代に焼きものが伝わり、7世紀頃にはすでに炻器づくりの原型が確立していたと考えられています。15世紀中頃からのライン炻器が歴史に名を残すようになったのは、「塩釉炻器」と呼ばれる製法が発展したためです。これは最高温度に達した窯の中に塩を投入して蒸発させ、灰と化合したガラス質のコーティングを、炻器の表面にほどこすというもの。これによって、これまでの炻器にはない光沢のある仕上がりが得られるようになりました。

 またずんぐりとした安定感のあるフォルムと、素朴でユニークなデザインもライン炻器の特徴です。そこから生まれた様々なビヤマグは、今も形を変えて人々に親しまれています。なかでも髭をたくわえた男が浮き彫りされた「バルトマン・クルーク(髭男マグ)」は、当時から広く海外にまで知られることになりました。イギリスでは、その風貌がローマ・カトリックの枢機卿で新教徒を非難したロベルト・ベラルミーノ(1542~1621)を思わせることから、彼に当てつけて「ベラーミン・ジャグ」と呼ばれました。また日本にも18世紀初期にオランダ商館を通じてもたらされ、「ヒゲ徳利」という名で大いに珍重されました。

「農民の踊り」―ブリューゲル

 絵画作品からも当時のビヤマグを確認することができます。寓意に満ちた作風で知られる16世紀フランドル(現在のベルギー西部)の画家、ピーテル・ブリューゲル(1529?~1569)は、代表作『農民の踊り』(1568年頃)の中で、赤ら顔で酔っ払った農民の姿を描いています。その左手に握られているのは、4つの把手が飲み口を囲むように付いたユニークなビヤマグです。これは仲間同士でスムーズにまわし飲みができるための工夫であるとされていますが、当時のビヤマグが造形面においてバラエティ豊かであったことを証明する一例といえるでしょう。