ビールと器
あのナポレオンが
セーブルの危機を救った
ロココ・スタイルの衰退やフランス革命で窮地に追い込まれた工房を救ったのは、ナポレオンでした。彼は、シンプルで普遍的な独自のスタイルを生み出し、セーブルに変革を起こします。270年の歴史の中で、数々の困難を乗り越えた「セーブル焼」にはいつの時代も磁器づくりに命を注いだ職人たちの誇りが刻み込まれています。
前編では、ポンパドール夫人とともに一時代を築いたセーブルでしたが、その栄光が長く続くことはありませんでした。
1769年頃フランス中部で、良質なカオリン粘土(純白で耐火性が強い硬質磁器の主原料)地層が発見され、セーブルでも真正の磁器製造ができるはずでした。しかし、乳白色でなめらかな肌合いの「ソフト・ペースト(軟質磁器)」こそが、セーブルに相応しいと貴族達が反対し、硬質磁器への転換は断念。また、セーブルを象徴する優美なロココ・スタイルも次第に衰退し、シンプルな新古典主義が好まれるようになったのです。
こうした中、1764年にポンパドール夫人が肺炎により43歳の若さで亡くなり、1789年にはフランス革命が勃発。王立のセーブルは襲撃され、作品の多くが没収または破壊、操業停止にまで追い込まれました。
そんなセーブルを救ったのが、ナポレオンでした。彼が革命の混乱に乗じて政権を握り、自身の権威を誇示する手段として陶磁器の製造を奨励したため、「国立セーブル製陶所」として、存続の危機を免れました。そして1800年、所長に就任した鉱物学者のアレクサンドル・ブロンニャールが、その後ほぼ半世紀にわたり工房を取り仕切り、ついに軟質磁器から硬質磁器への転換を実現しました。
1804年に皇帝となったナポレオンは、直線的なフォルムに男性的でシックな色彩、オリエンタルな金彩模様などを取り入れ、後に帝政(アンピール)様式と呼ばれるセーブル新時代の代表的なスタイルを確立しました。
(1990年にキリン ビヤマグ コレクションがセーブルに発注した「ウブロン」も帝政様式の名残を感じさせる作品で、ボディに施されたホップ(ウブロン)の金彩模様は、この時代の装飾家ジャン・シャルル・フランソワ・ルロイが1822年に手がけた図案がベースとなっています。)

19世紀末には一大トレンドだったアール・ ヌーボー様式を採用し、20世紀には才能豊かな外部デザイナーと、アール・デコ様式の名品も生み出しました。日本に残るアール・デコ建築の旧朝香宮邸には、画家でありインテリア・デザイナーのアンリ・ラパンが手がけたセーブル製の香水塔が今なお威光を放っています。
“他の工房が機械で500枚の皿を生産する間も、セーブルは1枚の皿を作り続ける”。そんな逸話もあるほど、セーブルはヴァンセンヌ時代から受け継ぐ、揺るぎない技法と美意識を守り続けています。だからこそ、今も人々の憧れの的なのです。