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芸術学部

No.11

ロココの女王、「セーブル焼」のルーツはヴァンセンヌ

女性的な気高さや華やかさが感じられる「セーブル焼」は、パリの美意識が詰まったフランスを代表する陶磁器です。ヨーロッパで最も洗練された18世紀のフランス宮廷で、絶大な影響力を誇った“ロココの女王”こと、才媛・ポンパドール夫人との出会いにより、「セーブル焼」の運命は大きく変化しました。

 セーブル焼きの歴史は、その前身・ヴァンセンヌ窯を抜きにしては語れません。1738年、パリ東部のヴァンセンヌ城内に、国王ルイ15世の庇護のもとオリ・ド・フルヴィ公が、日本の古伊万里や柿右衛門の写しに定評のあったシャンティイ窯のデュボワ兄弟を従えて工房を開設したのが始まりです。

 一方ドイツ北部のマイセン窯では、これより28年も前にヨーロッパで初めてとなる磁器の製造を始めていました。しかし、フランスは依然として錫釉陶器の「ファイアンス」が中心で、わずかにパリ郊外のシャンティイ窯などが「ソフト・ペースト(軟質磁器)」を製造していましたが、硬質磁器のマイセンとは比べものにならない品質でした。そこで、王室は国をあげて、硬質磁器の製造に取り組み、シャンティイ窯の写しの技術を活用して、マイセン風の模造品を大量に販売しようと、ヴァンセンヌを開設したのです。

 開設4年後に陶工のフランソワ・グラヴァンが再編成し、ヴァンセンヌの「ソフト・ペースト」技術は著しく向上しました。格調高い濃紺色の「ブリュ・ド・ロワ(王者の青)」や、雲状のぼかしが神秘的な「クラウデッド・ブルー」など、後にセーブルの代名詞となる色彩もこの頃に生まれました。ヴァンセンヌは、その芸術性の高さからマイセンに劣らぬ評価を確立しました。

セーブル

 そして、ルイ15世の後ろ盾を得て絶大な影響力を誇っていたポンパドール夫人の庇護を得るに至ります。1756年、夫人の進言によりヴァンセンヌは、パリとヴェルサイユ宮殿の中間に位置するセーブルへ移転。「王立セーブル製陶所」は、夫人が居住するベルヴュー城に隣接して誕生したのです。
 当時、富と権力を欲しいがままにしていたポンパドール夫人は、学問や芸術に通じた才媛としても知られ、科学アカデミー総裁のエロー、彫刻家のファルコネ、画家のブーシエら当代一流の科学者、芸術家をセーブルに招いていました。自らも工房に足しげく通い、その洗練された美意識を作品に反映しました。特に「ローズ・ド・ポンパドール(ポンパドールの薔薇色)」は、セーブルとポンパドール夫人の蜜月関係が生み出した集大成です。セーブルは誕生とともに最盛期を迎え、ヨーロッパで最も洗練されたフランス宮廷社会に、さらなる威光を与えました。

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