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キリングループの歴史

  • 文明開花華やかなる明治の頃、ビールは「新時代の飲み物」でした。1888年の「キリンビール」の発売以来、時代がめまぐるしく変化する中でも常にお客さまの暮らしに寄り添い、あたらしい飲みものをお届けしてきました。このページでは、キリンビールを中心としたグループの歩みをご紹介します。
  • ジャパン・ブルワリー重役会議事録

物価高とオイルショックを超え、さらなる品質向上へ

発売時の「マインブロイ」

発売時の「マインブロイ」

当時の小岩井ブランド製品

当時の小岩井ブランド製品

1970年代初頭に物価の高騰が社会問題になると、ビール業界の相次ぐ値上げは寡占状態における管理価格の疑いがあるとして、国会でも議論の対象になりました。とくにシェア60%を超えていた当社には批判が集中しました。さらに1973(昭和48)年に公正取引委員会の独占禁止懇話会が企業分割命令を出せるよう独占禁止法を改正すべきであるという方向性を示すと、当社は企業分割の危機に直面しました。またこの年の秋に第一次オイルショックが発生し、高度経済成長期は終わりを告げました。このときに物価の上昇が相次いだこともあって、独禁法改正の機運がさらに高まったのです。

当社はビール業界の歴史的・構造的背景から自然と寡占に至ったことや寡占の弊害が生じていないことを訴えて、企業分割案に反論しました。その一方で当社は「量から質への転換」を打ち出してビールシェアの拡大抑制策をとりました。設備投資を抑制し、ビールの広告を自粛しながら、品質本位に徹することで企業体としての質的向上を目指したのです。とはいえオイルショック以降にビール市場の成長率が3%程度に鈍化していたこともあって、当社は1976(昭和51)年に広告を再開するとともに、高濃度ビール「マインブロイ」を発売して総需要の拡大に努めていきました。結局、改正独禁法は1977(昭和52)年に成立しましたが、企業分割規定はシェアの大きさだけでは対象とされず、新規参入障壁などの弊害が生じている場合に適用されることになりました。当社は分割の危機を免れたのです。

当社は企業体としての成長維持を図り、多角化にも積極的に取り組んでいきました。清涼飲料・洋酒事業の育成強化に努める一方、食品分野に進出していったのです(第1次多角化)。1976(昭和51)年6月に小岩井農牧株式会社と共同で小岩井乳業株式会社を設立し、同年10月、チーズやバターなどの乳製品を全国販売しました。
発売時の「マインブロイ」

発売時の「マインブロイ」

当時の小岩井ブランド製品

当時の小岩井ブランド製品

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