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キリングループの歴史

  • 文明開花華やかなる明治の頃、ビールは「新時代の飲み物」でした。1888年の「キリンビール」の発売以来、時代がめまぐるしく変化する中でも常にお客さまの暮らしに寄り添い、あたらしい飲みものをお届けしてきました。このページでは、キリンビールを中心としたグループの歩みをご紹介します。
  • ジャパン・ブルワリー重役会議事録

ジャパン・ブルワリー・カンパニーそしてキリングループの120年に渡るあゆみを13のトピックに分けてご紹介します。このページはダイジェスト版です。クリックで各トピックの詳細ページにリンクします。
01

前史:ジャパン・ブルワリー・カンパニー

前史:ジャパン・ブルワリー・カンパニー

1885(明治18)年、ビール事業が将来有望であると見込んだ横浜山手の在留外国人たちがジャパン・ブルワリー・カンパニーを設立。貿易商トーマス・ブレーク・グラバーの尽力で、三菱の岩崎彌之助社長をはじめ9人の日本人も株主として参加し、1888(明治21)年に聖獣“麒麟”をラベルにした「キリンビール」を発売しました。

ジャパン・ブルワリー・カンパニー設立当時の横浜山手工場

ジャパン・ブルワリー・カンパニー設立当時の横浜山手工場

02

激化するビール競争、
生き残りかけ麒麟麦酒会社創立へ

激化するビール競争、
生き残りかけ麒麟麦酒会社創立へ

1900年代に入ると、ビール業界は激しい競争の時代になりました。そうした中、岩崎家、三菱合資・明治屋関係者たちはジャパン・ブルワリー・カンパニーを操業状態のまま経営を引き継ぎ、1907(明治40)年、麒麟麦酒株式会社を創立。定款には100年先の未来を見据えた志が記されました。

麒麟麦酒株式会社定款(関東大震災で一部破損)

麒麟麦酒株式会社定款(関東大震災で一部破損)

03

第一次大戦時の増産体制と、
関東大震災からの復興

第一次大戦時の増産体制と、
関東大震災からの復興

日本が好景気に沸く中でキリンビール社は増産体制を整えました。1923年に発生した関東大震災では壊滅的な被害を受けた横浜工場も、新たな地で積極的に設備を拡張し清涼飲料事業に参入し発展しました。

発売当時のラベル

発売当時のラベル

04

昭和初期の混乱とそれに続く戦時統制

昭和初期の混乱とそれに続く戦時統制

不況による市場の混乱で幕を開けた昭和時代。混乱から立ち直ったビール業界を待ち受けていたのは戦争による戦時統制でした。ビールびんも共用となり、ラベルから商標が消えました。

商標が消えた1943年のラベル

商標が消えた1943年のラベル

05

戦後、「キリンビール」は
国内トップブランドへ

戦後、「キリンビール」は
国内トップブランドへ

戦後の混乱期、遊休施設を利用して醤油製造や倉庫業なども行いながらキリンは工場や支店を再建し、新たな販売網を強化して来るべき高度成長期に備えました。生産が自由になった1954(昭和29)年に「キリンビール」は年間倉出量でトップシェアを獲得しました。

商標復活のラベル 青のラベル

商標復活のラベル 青のラベル

06

高度成長期にビール人気沸騰、
シェア60%に到達

高度成長期にビール人気沸騰、
シェア60%に到達

高度成長期、キリンはビールの生産・販売・物流面において大幅な能力拡充を実行。1963(昭和38)年に自動販売サービス株式会社(現・キリンビバレッジ株式会社)を設立し清涼飲料事業の充実を図り、1972(昭和47) 年にキリン・シーグラム株式会社(現・キリンディスティラリー株式会社)を設立して洋酒事業にも参入しました。また、「キリンビール」は12工場体制となり、シェア60%に達しました。

導入時のP箱

導入時のP箱

07

物価高とオイルショックを超え、
さらなる品質向上へ

物価高とオイルショックを超え、
さらなる品質向上へ

1970年代、高いシェアを誇っていたキリンは企業分割の危機に直面するも「量から質への転換」を打ち出し品質本位に徹することで、企業体としての質的向上をめざしました。また、多角化にも積極的に取り組み、1976(昭和50)年6月に小岩井農牧株式会社と共同で小岩井乳業株式会社を設立し、同年10月、チーズやバターなどの乳製品の販売を開始しました。

当時の小岩井ブランド製品

当時の小岩井ブランド製品

08

経営を多角化、
ビールを核にした豊かな暮らしを応援

経営を多角化、
ビールを核にした豊かな暮らしを応援

1980年代、ライフサイエンス分野への進出を図り、現在につながる医薬事業に本格参入しました。また、多角化事業を展開するうえで新しい企業イメージの構築と企業体質の改善にも取り組みました。

当時のCIマニュアル

当時のCIマニュアル

09

一番搾り異例の大ヒット商品に。
キリンビバレッジ誕生

一番搾り異例の大ヒット商品に。
キリンビバレッジ誕生

キリンが1990(平成2)年に発売した一番麦汁だけを使用してつくる「キリン一番搾り<生>ビール」は大ヒット商品となりました。翌1991(平成3)年には清涼飲料事業が独立し、キリンビバレッジ株式会社が誕生しました。

発売当時の「キリン一番搾り生ビール」

発売当時の「キリン一番搾り生ニール」

10

麒麟淡麗〈生〉、キリンチューハイ氷結®
キリンのどごし〈生〉誕生

麒麟淡麗〈生〉、キリンチューハイ氷結®
キリンのどごし〈生〉誕生

ビール事業の構造改革を行うとともに、国際酒類事業の推進と医薬事業の基盤強化を図りました。1998(平成10)年「麒麟淡麗〈生〉」発売して発泡酒市場に参入。2001(平成13)年「麒麟チューハイ氷結®」2005(平成17)年「キリンのどごし〈生〉」を発売。

発売当時の「麒麟淡麗〈生〉」、「麒麟チューハイ氷結®」、「キリンのどごし〈生〉」。

発売当時の「麒麟淡麗〈生〉」、「麒麟チューハイ氷結®」、「キリンのどごし〈生〉」。

11

創立100年、キリンホールディングス発足へ

創立100年、キリンホールディングス発足へ

2006(平成18)年12月にメルシャン株式会社を連結子会社とし、酒類事業の更なる充実を図りました。そして、創立100周年を迎えた2007年に純粋持株会社制を導入し、キリンホールディングス株式会社が発足。偶然にも原始定款に書かれた内容を実現することに。

メルシャン社の当時の商品

メルシャン社の当時の商品

12

グローバル化を推進
国内では協和発酵キリン発足

グローバル化を推進
国内では協和発酵キリン発足

アジア・オセアニア地域のリーディングカンパニーを目指し、国内だけでなく海外へと事業を拡大していきました。 医療事業では、2008(平成20)10月、協和発酵キリン株式会社発足。最先端のバイオテクノロジーを活かし、新しい医薬品の創出に取り組んでいます。

協和発酵キリンCIロゴタイプ

協和発酵キリンCIロゴタイプ

13

あたらしい飲料文化をお客様と共に

あたらしい飲料文化をお客様と共に

日本綜合飲料事業において、キリンビール、キリンビバレッジ、メルシャンなどがカテゴリーの枠を超えスピード感のる事業を推進していくために2013(平成25)年にキリン株式会社を設立。

キリン本社ビル

キリン本社ビル

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