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中目黒の街で、キリンブラウマイスター開発者・金子聡氏が出会ったのは、創業昭和3年(1928年)という飴の老舗「宮川製菓株式会社」の飴職人、菊地一男さん。目黒区より技能功労者として表彰されたこともあるという菊地さんに、中目黒の移り変わり、そして飴づくりへのこだわり、職人としての想いをお聞きしました。

金子中目黒の駅を降りて、びっくりしたのが活気です。人が多い。そして、お洒落で小さなお店がいっぱいありますね。
菊地今は、再開発の真っ只中なんです、この街は。古い建物などはもうあまり残っていませんが、これも時代。代わりに新しい建物やお店が増えてきています。
金子いろいろ聞いたところによると、中目黒は今とても人気のある街らしいですね。
菊地渋谷や恵比寿など大きな街に近いですし、東横線と日比谷線が通っていて交通の便もいい。しかも、商店街もあれば、著名人が住まうような高級住宅街もあります。

金子だからですかね。都会的なんですが、親しみやすい。商店街というのもいいですね。
菊地本社のある目黒銀座商店街は約2キロもあるんです。昔は1階が店舗で2階が住宅という建物がずらっと並んでいて、9のつく日は縁日をやっていたり、風情がありました。今は様変わりということでしょうか、フリーマーケットや夏祭りなど、いろんなイベントをやっています。
金子それは、面白い。桜も有名と聞きましたが…。
菊地目黒川ですね。花見の季節になると、それはもう見事です。西郷山公園あたり(目黒区青葉台)が、ドラマの撮影場所として使われるようになったこともあってか有名になりました。川沿いにソメイヨシノが800本以上植えられていて、それが川の上を覆うように重なって咲くんです。夜はライトアップされて、うっとりするような眺め。見に来る価値はありますよ。
金子それは、ぜひ! 花見といえば、ビールは欠かせませんからね。
菊地ビールならいつでも歓迎です(笑)。

金子菊地さんが飴職人を務める宮川製菓さんは、創業が昭和3年(1928年)。80年以上、飴一筋でやっていらしたわけですね。
菊地元々は港区の白金にあったのですが、昭和9年(1934年)に中目黒に移転して、最初は駄菓子屋のようなお店だったとのことです。
金子駄菓子屋さんですか、懐かしいですね。昔、子どもにとって甘いものは高級品で、駄菓子屋さんで飴を一個買っては、大切に舐めたものです。
菊地その頃の飴づくりに使われていた道具が、今もココにはあるんですよ。
金子昔は作業も大変だったんじゃないですか?
菊地そうですね。中でも一番大変だったのが、暑さです。当時は空調がなくて換気扇だけ。室内温度が50度を超えるところで作業していました。
金子特に夏は大変そうですね。修業時代はどうだったんですか?
菊地最初は包装のみで、飴になんて触らせてもらえませんでした。飴はすぐに固まってしまうので、ゆっくり丁寧に教えることが難しいんです。

金子じゃあ、「教わる」より、(技術を)「盗め」ですか?
菊地近くでずっと先輩のやり方を見ているわけです。それで、一日の最後の一回だけでいいからやらせてくれと頼みこんで、やらせてもらっていました。
金子さっき工場を拝見しましたが、10キロの飴が入った銅鍋を持ち上げるわけですよね。熱い上に力仕事ですね。
菊地鍋自体も重いですし、とても最初からできるものではありません。飴をのばすのも、とてもコツのいる作業なので、最初は手ぬぐいを飴に見立てて練習することもありました。
金子なるほど、それで感覚をつかんだんですね。
菊地飴の温度を測るのも温度計なんて使わず、炊きあげた飴の鍋に直接指を入れて測っていたもんです。だから、飴職人はみんな手の皮が、ふつうの人より厚いんです。
金子今もやっているんですか?
菊地もう、そういう時代ではありません(笑)。今の若い職人にはポイントだけを教えて、あとは自分で考えて実践して覚えてもらいます。
金子宮川製菓さんは、銅鍋を使って直火で炊きあげた、手づくりの飴が自慢ですよね。ちょっといただいてみます。
菊地どうぞ!
金子これは、まろやかでおいしい!
菊地うちの飴は砂糖と水飴を基本に、にっき飴なら桂皮末(けいひまつ)、黒飴なら黒糖など、天然素材にこだわって飴をつくっています。それを銅鍋でじっくり炊きあげると、他ではできない味になるんです。
金子僕も材料にはこだわり、使うのは天然の素材だけ。案外、飴とビールというのは似ているのかもしれませんね。しかし、天然の素材だと、年によって出来が違うから大変じゃないですか?
菊地昔は原料になる砂糖の出来にもムラがあり、それでも飴の品質は変えられないから苦労しました。今は製糖会社も、安定した製品を供給してくれるようになりましたね。
金子菊地さんは、製糖工場にも行かれるんですか?
菊地やはり自分が扱っているものが、どんなものなのかを知っておくことは必要です。宮川製菓では、あまり忙しくない夏の時期に製糖工場へ見学に行くんです。
金子ビールづくりも同じです。原料の勉強は欠かせない。
菊地原料のことを理解していないと、自分でつくった飴が、なぜこんな色や味になるのかが分からない。だから、ちょっと変えたい場合も、対処できなくなってしまうんです。

金子ビールはお好きですか?
菊地もう大好きですよ。最初から最後までビールです。特に仕事場が暑いから、仕事後の一杯は格別です。ビールをおいしく飲むために、体を精一杯動かして仕事をしています。
金子「キリンブラウマイスター」はいかがですか?
菊地濃い味ですね。でも、飲みやすい!

金子喉越しで味わう! いい感じですね!
菊地グラスについだのを、泡があるうちに飲み終える。「キリンブラウマイスター」は、泡がきめ細かくていいですね。
金子「キリンブラウマイスター」のために選んだ良質な麦芽と元気な酵母の組み合わせが、このきめ細かな泡を生んだのです。
菊地なるほど、いろいろ工夫しているわけだ。飴もね、求められたものをただつくるんじゃつまらない。どうすれば、「もっと」工夫できるかと、その先を考えていくうちに、納得できる飴ができあがるんです。
金子「やわらか きな粉飴」のソフトな食感だったり、「塩すいか飴」の絶妙な塩味だったり、宮川製菓さんの数々の飴は、そういう「もっと」という気持ちからできあがっているんですね。

金子菊地さんはキャンディ製造工(飴職人)として、目黒区の技能功労者に選ばれて、表彰(2005年)されたそうですね。長年ものづくりに携わってきた職人さんだけが選ばれると聞きましたが。
菊地続けているというだけです。
金子それが一番大切だし、一番大変だと思います。職人として一人前になったな、と実感できるようになったのは何年目くらいですか?
菊地30年以上やっていますが、まだまだです。飴というのは、実に奥が深い。最高のものがどうすればできるのか、毎日試行錯誤の繰り返しです。
金子職人としての目標が高いんですね、菊地さんは。だから、常に上を目指して、進歩し続けることができる。そういう部分を、若い人たちには受け継いでもらいたいですね。
菊地目標なんてものじゃないですけど、職人の仕事というのは、同じ品質のものを常につくり続けられることだと思います。そのためには、基本を守ることが必要。コツコツと積み上げていくことを続けて、立派な職人になってほしいですね。
金子ところで、菊地さん。今度、ビール好きのためにホップ入りの飴をつくってくれませんか?
菊地ははは!できるかもしれませんね。


中目黒でこだわりの飴をつくり続けるキャンディメーカー「宮川製菓株式会社」の工場長を務める。2005年にはキャンディ製造工の技能功労者として目黒区より表彰される。中でも細工飴の技術には定評がある。同社は昭和3年(1928年)、「宮川製菓所」として港区白金にて創業。昭和9年(1934年)、現在地に移転。昭和57年(1982年)に工場を新築し、現在に至る。平成14年(2002年)、ISO9001認証取得。 http://www.miyagawa-conf.co.jp/