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歴史人物伝 歴史人物伝

日本のワインのパイオニアたち

近世史を築いた三英傑とブドウ酒

信長とまぼろしのチンタ酒
織田信長

織田信長(1534〜1582)(「絹本著色織田信長像」重要文化財、部分)

フランシスコ・デ・ザビエルに続き、永禄年間に入って日本を訪れたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスもまた、日本のワイン史にとって重要な人物の一人である。そして、ルイス・フロイスを厚くもてなした織田信長をはじめ、信長の後を受け天下統一を実現していく豊臣秀吉、徳川家康らも当時、この異国の酒を口にしたであろうことは想像に難くない。

1568(永禄11)年9月、足利義昭を奉じて京に入った信長は、その頃、堺にいたフロイスに入洛を許可した。信長がフロイスを引見した時の模様を記したフロイスの文書には、次のようなくだりがある。
信長はその時、二条城の工事場にいて、堀の橋の上で私を待っていた。…彼は私を非常に近くに招き、日除けの傘を差しかけてくれた。私はコンフェイトス(金平糖)入りのフラスコを1個、及びロウソク数本を贈った。彼は1時間半から2時間あまりも私と一緒にいた。
(『イエズス会士日本通信』1569年6月1日より)
この時、フロイスは信長の質問に答えてキリストの教えを説き、京都居住の許可と布教の朱印状下付を願い出た。そして、信長の計らいで義昭将軍とも謁見を果たしたフロイスは、将軍と信長の両方から布教の許可を得ることができた。その後も度々信長を訪れたフロイスは様々な品物を贈り、なかでも目覚し時計は信長を驚かせたという。

この頃、チンタ(珍陀)酒と呼ばれたポルトガルのワインが、戦国武将の間で嗜まれるようになった。なかでもキリスト教徒を歓迎した信長は好んで飲んだといわれているが、当時の文献の中には、足利義昭も織田信長も、いずれも実際にチンタ酒を飲んだとする記録が見当たらない。信長がチンタ酒を飲んだとされている伝説は、史実としては確認できない話、いわば"まぼろし"なのかもしれない。

秀吉にブドウ酒2樽を献上
豊臣秀吉

豊臣秀吉(1537〜1598)(「絹本著色豊臣秀吉像」重要文化財、部分)

フロイスの『イエズス会日本年報』には、豊臣秀吉が博多でイエズス会士の乗っていた船を訪れて、糖菓とポルトガル産のブドウ酒を喜んで賞味した旨が記されている。

1586(天正14)年、イエズス会の日本副管区長であったガスパル・コエリョやフロイスをはじめとした一行は大坂城で秀吉に謁見した。秀吉はポルトガル人の来日を歓迎し、日本での通商を保証した。1588(天正16)年、コエリョは前回会談時の答礼と秀吉の九州平定(島津征伐)の凱旋を祝うため、博多に滞在していた秀吉を海路訪れた。秀吉はコエリョの船に乗り込んで、「大いなる好奇心をもって」(『イエズス会日本年報』1588年2月20日)船内を見学したのであった。船内では洋楽器が演奏され、秀吉は糖菓とポルトガル産のブドウ酒を自ら賞味し、長時間雑談した後、レモンの糖菓漬けやブドウ酒を土産に帰っていった。

また、この数年後にはフロイスとは別の会派の宣教師が秀吉にワインを献上している。1594(文禄3)年、フランシスコ会の宣教師一行は、フィリピン諸島長官の使者として伏見で秀吉に謁見した。この時の進物には、イスパニア貴族の被服一式、オリーブの実1樽などとともに「葡萄酒2樽」があった。

これらの進物を受けて、秀吉はフィリピン諸島長官に返礼の書翰を託しているが、その文面は一転してキリスト教を糾弾する内容であり、この頃から一気に秀吉のキリスト教弾圧が加速していくのであった。

家康に贈られたシェリー酒
1609(慶長14)年、フィリピン諸島長官であったロドリゴ・デ・ビベロは、帰任途中に船が難破し、上総(現・千葉県)に漂着した。ロドリゴは家康に謁見し、当時スペイン領であったメキシコと日本との通商を依頼された。

『ドン・ロドリゴ日本見聞録』によると、1年近く日本に滞在したロドリゴが日本で造られた船で離日する際、家康は日本人の使者を派遣し、スペイン国王に贈り物を献上した。スペイン国王は、ロドリゴが厚遇を受けたことへの返礼のため、1611(慶長16)年にセバスチャン・ビスカイノを大使として日本に派遣した。ビスカイノは、時計やスペイン国王らの肖像画とともにブドウ酒2樽を家康へ献上している。このブドウ酒2樽はシェリー酒および赤ブドウ酒であったと考えられている。

また、1613(慶長18)年にもスペインの使節がブドウ酒を家康に献上した記録が残っている。イギリス国王の使節として来日したジョン・セーリスの『セーリス日本航海記』には、次のような記述がある。
駿河に帰ったら、イスパニアの使節がフィリピンからそこに到着していた。彼は皇帝(引用注:家康のこと)を一見して、その贈り物を献じただけである。贈り物は中国緞子とヨーロッパの甘い葡萄酒5壺であった。

この時、家康に贈られた「甘い葡萄酒5壺」とはスペインのシェリー酒であったと考えられる。
このように、江戸時代初期の日本には、ブドウ酒をはじめ様々な西洋の品が持ち込まれていた。しかし、その後の鎖国体制によって、ヨーロッパとの貿易は縮小されることとなる。
駿府城内で家康に謁見する、セーリスらイギリス国王使節

駿府城内で家康に謁見する、セーリスらイギリス国王使節(ダルトン画、中部建設協会『東海道駿府城下町(下)―世界を見た家康とその後の駿府』より)


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