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酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史 酒・飲料の歴史 日本のビールの歴史

テーマ別解説

ビールを飲む器とビールの容器

(4)ビールびんの容量統一
ビールびんの形や容量も時代とともに変わってきた。スプリングバレー・ブルワリーのクォートびんは約757ml、パイントびんは約378ml前後であった。ジャパン・ブルワリーが1889(明治22)年に品川硝子会社に発注したビールびんの入味容量は3合8勺(約685ml)ほどで、麦酒税法が施行された1901(明治34)年10月には、ビールの大びんの入味量は3合6勺(約649ml)に決められた。1927(昭和2)年4月1日からは、麒麟麦酒の各工場で大びん3合5勺6才(約642ml)に統一された。

1944(昭和19)年4月に酒税が庫出税に一本化されたことを受けて、1944(昭和19)年8月にビールびんの入味量が統一された。当時、ビールは製造工場・会社などによって容量がまちまちだったため、その中で一番少ない容量のびんの3合5勺1才(約633ml)に合わせることとした。その理由は、それより大きいびんも取り替えずに使用できるからである。同様にして小びんの入味量も約334mlと定められた。なお、大びん、小びんは明治時代から販売されていたが、500mlの中びんは1957(昭和32)年に登場した。その後もさまざまなサイズのびんが発売されている。

当時のポスターや新聞広告を見る限り、ビールびんの色は、明治時代から濃い茶褐色だったようだ。特別記念醸造ビールや一部のビールでは、白びん(無色透明びん)も使われた。

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