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テーマ別解説

ビールを買う

(3)戦時中・戦後のビール配給制度
大正時代から昭和初期にかけて、ビールを扱う酒販店の数は増えていったが、日中戦争が始まり、日本が戦時体制に入ると市場の状況も大きく変化した。ビールは1939(昭和14)年3月に価格統制の指定商品となり、翌1940(昭和15)年10月には公定価格が決められた。物資が不足する中、あらゆる品物が配給の対象となり、太平洋戦争開戦の前年1940(昭和15)年6月には、東京、横浜、川崎の京浜地区でビールの配給が始まった。

翌年の1941(昭和16)年には、家庭用のビールは、あらかじめ配られた切符(購入票)とビールとを交換する切符制となった。またビールと引き換えに空びんと王冠を渡すことが、配給を受ける条件となった。

なお、東京では1941(昭和16)年6月から9月は1世帯につき月2本ずつが切符制で配給されたが、10月から12月の間は、3ヶ月間に計4本と数量が少なかったため、切符制の手間を省き、希望者が公定価格で購入することになった。1942(昭和17)年には4月から月2本が配給された。1943(昭和18)年になると5月1日をめどに各社の商標は廃止され、「麦酒」の文字と用途、会社名のみが書かれた統一ラベルに切り替えることとなり、1949(昭和24)年まで商標は姿を消した。

戦局が悪化した1943(昭和18)年からは、軍需産業の労働者には一般の配給とは別にビール配給が行われた。また、盆暮れのほか冠婚葬祭、戦場での大きな勝利などがあると、「特配」と呼ばれる特別な配給があった。入営、応召などがあると、出立の宴のために「特配用ビール」が配られた。

戦後も配給制度はしばらく続けられた。しかし進駐軍用が優先されたため、1946(昭和21)年から翌年にかけて、日本人には一人当たり年間1.4本の配給しかなかった。1947(昭和22)年の暮れには、正月用の酒の特別配給の中止が決まり、代わって「特価酒」が自由販売された。ただし、「特価酒」はビール大びん一本が100円と非常に高価であった。

戦時中に開始された配給制度により、それまでビールを飲んだことがない人々にもビールが行き渡ることとなった。また、日本の軍隊には、明治時代から施設や戦艦内に「酒保」と呼ばれる売店が開かれており、日本酒のほかにビールを販売する酒保もあった。こうして配給制度や酒保を通じ、さまざまな人々にビールの味が広まることとなったのである。
戦時中のビールの配給切符

戦時中のビールの配給切符(毎日新聞社 提供)


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